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1999.11.21

ニューヨークのタクシー事情



 
ジム・ジャームッシュの1991年の映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」はロス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキのタクシー運転手を主人公にした5話構成のオムニバス。どのエピソードも洒落てて、とても面白い作品なのだけれど、ここではニューヨーク編の話を紹介する。


ある寒い冬の夜、マンハッタンでタクシーを拾って帰宅しようとした黒人の男(ジャンカルロ・エスポジート)は黒人というだけで乗車拒否にあい続け、さっぱりタクシーを捕まえられない。身体の芯まで冷え込んだ頃にようやく1台のタクシーが止まり、男は嬉々として乗り込んだものの、運転手は旧東ドイツからやってきたばかりの移民で英語もロクに話せないし、ニューヨークの地理にも不案内、おまけに車の運転も超ヘタクソで…。エピソードの後半からは、ばりばりのプエルトリカン女優ロージー・ペレスもタクシーに乗り込み、3人の騒がしくも楽しい珍道中が始まるのであった。

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ところで黒人っていうだけでタクシーが止まらない? ニューヨークみたいな都会で? そんなこと本当にあるの? …あるんだな、これが。しかも決して珍しいことではなく。そして今回、以下の出来事がきっかけとなって、このことが全米の話題となっている。


事の起こりは黒人俳優ダニー・グローヴァー(映画「リーサル・ウェポン」シリーズでメル・ギブソンの相方刑事役)がニューヨーク市警に提出した一通の訴状。いまや押しも押されもしない大物俳優の彼はサンフランシスコに居を構えているらしいが、10月の始めにニューヨーク大学に通う娘に会いにはるばるニューヨークにやってきた。彼は「リーサル・ウェポン」で妻子を愛する人の良いパパ刑事を演じているけれど、実生活でもそのとおりの人なんでしょうか。

それはさておき、ダニー・グローヴァーがマンハッタンでタクシーを拾い、娘を後部座席に座らせて自分は助手席に座ろうとしたら、運転手がそれを断った。何故だ? 駄目だと言ったら駄目だ、だから何故? という口論の揚げ句に「どうしてもそこに座るんなら警察を呼ぶぞ」とまで言われて「おぅ、それじゃ呼んでもらおうじゃないか」という成り行き。


ニューヨーク、特にマンハッタンのタクシー運転手は、そのほとんどが外国からの移民で、白人黒人を問わずアメリカ人はあまりいない。頭にターバンを巻いたインド人(シーク教徒)、パキスタン人、アフガニスタン人が多いけれど、それ以外にもありとあらゆるエスニックのドライヴァーがいる。キャブ・ドライヴァーの資格を取るには最初にかなり高額のライセンス料を払わなければならないのだけれど、それは出稼ぎ移民に払える額ではなく、したがってタクシー会社が代わりに支払う。その代償として運転手たちは安い賃金で一日中市内を走り回ることとなるのだ。けっして楽な仕事ではない。そのタクシー運転手たちが最も恐れているのが客を装った強盗に襲われることで、「黒人=強盗」というステレオタイプな偏見のもとに、彼らは黒人客に対してかなり頻繁に乗車拒否を行う。

ニューヨークのタクシーは運転席と後部座席が透明なプラスティック板で仕切られているので、今回のケースは後部座席ならОK、だけど助手席に乗せたりしたら、いつピストルやナイフを突きつけられるか判ったもんじやないと思っての乗車拒否だろう。しかしこの運転手は、とにもかくにもダニー・グローヴァーを乗せようとはしたわけで、実はこれはまだマシなケース。まず黒人客のまえは素通りして止まらないタクシーがいるし、いったんは止まっても行き先が黒人地区だと客を降ろしてしまうこともしばしば。

それにしてもこの運転手、こんな有名人だと知っていたら素直に乗せたのにと悔やんでいるに違いない。だけど後悔先に立たず。この件は新聞で大きく取り上げられ、ニューヨークの黒人運動のリーダー、アル・シャープトンや、黒人である前市長ディンキンズも動き出している。
 
以下はこの事件が報じられた後にデイリーニューズ紙に寄せられた一般黒人からの投書の山の、ほんの一部。


カルロス・オーティス・・・マディソンスクエアガーデンに7才と10才の甥を連れてボクシングを観に行った帰り、少なくとも5台から7台のタクシーが僕らを素通りし、白人家族を乗せて行ってしまった。


ベヴァリー・ドブソン・・・マンハッタンで子供たちにおもちゃを買った帰りにタクシーを拾おうとしたけれど、なかなか止まってくれなくて。ようやく止まってくれたタクシーにも行き先がブルックリンだと言ったら断られたの。遂に乗せてくれたタクシーの運転手は私と同じ黒人だったのよ。


ディアンジェロ・ジョーンズ(弁護士)・・・スーツを着ていようがジーンズだろうが関係なく度々の乗車拒否にあい続け、ある日遂に頭にきて素通りしたタクシーを追いかけ、赤信号で追いついた。口論の揚げ句に運転手はこう言った。「俺は乗せたい時に乗せたい客を拾うんだよ」。他の乗車拒否タクシーのナンバーを控えてタクシー協会に電話したこともあったが、たらい回しにされた揚げ句、結局向こうからは何も言ってこなかった。


ミシェル・ゲイリー・・・土曜の夜に彼とヴィレッジで映画を観て、タクシーで帰ることにしたの。赤信号で止まっているタクシーに近づいたら、いきなり回送サインが点灯したのに、酔っ払いの白人3人が手を上げた途端に、その回送サインは消えたのよ。

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マイノリティのタクシー運転手が、マイノリティの黒人やヒスパニックを乗車拒否している。ところが白人はそんな経験を一切持たないので、同じマンハッタンの中でそんなことが日常茶飯事として行われていることには全く気付いていない。だからほとんどの白人は新聞の一面を飾ったダニー・グローヴァーの写真を見ても「ふーん、そんなこともあるのか」ぐらいにしか受け止めていないだろう。自身も何度も乗車拒否を体験している黒人市会議員フィル・リードは言う。「すべての黒人が犯罪者ではないことを世間に知らせる方法を、私たちは考えなくてはならない」


ちなみに日本人の場合は乗車拒否はされない。マナーと金払いの良さで知られているから。ただし空港からマンハッタンに来る場合、特にジプシー・キャブ(白タク)は日本人の気の弱さにつけ込んで遠回りし、法外な金額を請求してくることもある。だからと言って、すべての運転手が乗車拒否したり、ぼったくりをする訳ではもちろんなく、驚くほど親切なドライヴァーも数多く存在する。それはすべての黒人がタクシー強盗ではないのと同じ。どんな人種、エスニック、職種にも良い人間と悪辣な人間が必ずいるということ。

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