NYBCT

2003/05/06



春休みのハーレムYMCA
子ども は 子ども


 4月17日から27日までニューヨークの公立学校は春休み。日本と違って学年度の終わりではなくて、単に一息入れるためのお休み期間。夏休みであれ、冬休みであれ、長い休みの最初の2〜3日は、子どもはやたらと興奮する。それがしばらくしたらリラックスした態度に変わり、本当に休みを楽しみ出す。学校って結構なプレッシャーになってるんだな、子どもも大変なんだろうな、と思う。夏休みは長すぎて中だるみの時期が来るけれど、10日間程度の春休みはちょうど良いみたいだ。以下は託児所ハーレムYMCAの子どもたちの、春休み最後の日々の様子。


 頭が良すぎて、それがかえって負担になっているのか、いつも張りつめた顔つきのマイルス(男の子/8歳)が、今日はおもちゃのバス持参でやって来た。集中力があって普段なら1時間以上でもコンピュータの前にじっと座り、教育ソフトのゲームで遊んでいられるマイルスだけれど、今日は「これ、もう飽きた」「他のゲームさせて」と甘えてくる。しかも室内を歩き回ったり、大声ではしゃいだり、思いっきりのバケーション・ムードだ。どう見てもリラックスしすぎ。とうとう「いいかげんにしなさい!ここにじっと座ってなさい!」と叱る。すると「…わかった」と言っておとなしくバスのおもちゃで遊び始めた。やはり聞き分けはいいのだ。



 イライジャ(男の子/5歳)は母親と4人の姉に囲まれて育ち、YMCAに通い始めたころは片時もひとりでいられなかった。「マミー!マミー!マミー!」と一日中泣き通しで、逆のその体力に驚かされた。仕方なく姉のアシェイかキューのクラスでいっしょに座らせるか、または先生の部屋で特別に遊ばせてもらっていた。


 それが数ヶ月も続いたのだけれど、この春休みにイライジャの態度が一変した。急にひとりでへっちゃらになったのだ。それどころか、他の子どもがコンピュータで遊んでいるのにちょっかいを出し、そのくせ自分のゲームは遊び方が分からず、「ねぇ、これぇ、教えてぇ〜」と甘え上手振りを発揮する。飽きると回転イスに飛びつき、クルクル回って遊ぶ。小柄だからこういうことが出来るのだけれど、危険だからこれは止めさせなければならない。叱ると小首をかしげ、「ん〜」などと言いながら、大きな目で上目遣いの可愛い表情をしてみせる。先が思いやられるタイプだ。



 サミー(男の子/9歳)とジャマール(男の子/7歳)の兄弟は、ふたり揃って細身で顔立ちもよく似ている。極端に無口なところもそっくりだ。コンピュータの前にひっそりと座り、それぞれが黙々とゲームをしている。他の子どものように「見て!97ポイントも取ったよ!」「オー!イエー!」みたいな声も滅多に上げない。同じゲームを長時間やりすぎてさすがに飽きると、そっとこちらにやってきて、聞き取れないほどの小声で「他のゲームがしたいんだけど…」と言う。


 兄弟がふたりともここまで大人しい、つまり自己表現をしないということにひっかかりを感じる。片方だけならそれがその子の個性だと言えるけれど、ふたり揃ってとなると、なにか家庭に問題があるのかと勘ぐってしまう。でも、ふたりとも良い子だし、お母さんは朗らかだし…。




 デジョンテ(男の子/8歳)は将来「バスケットボールの選手と、お父さんと、それからお年寄り」になりたいそうだ。この辺りが子どもの思考の不思議さだが、頭の回転はかなり速い。大人がなにか質問をすると、答える前に必ず早口で「どうしてそんな質問をするの?」と聞き返し、納得のいく返事を聞くまでは答えようとしない。そんなデジョンテは最近、ラティーシャ(女の子/9歳)が「好き」なのだと言う。


 ラティーシャも成績が良くて、しかも性格が安定した女の子。例えばいじめっ子タイプの男の子がイタズラを仕掛けてきても、怒ったり泣いたりせず、黙殺という高等テクニックで対抗できる。これは貴重な能力で、将来はさぞかし賢い女性になるだろう。それはさておき、ラティーシャのほうもデジョンテが好きらしく、帰宅の前には「私、おばさんが迎えに来たから帰るね」とデジョンテに報告する。そしてふたりでハグをする。


 そういえば、ラティーシャは物心がつく前にお母さんが亡くなり、以来おばさんに育てられている。以前、他の子どもたちが母の日のカード作りの話をしているのを聞き、「私のお母さんは天国にいるの」と淡々と言い放っていた。おばさんに過不足なく愛され、なおかつ事実を事実として受け入れているのだろう。そのおばさんは女の子の育て方にポリシーがあるらしく、ラティーシャがスカートをはいているのを見たことがない。



 マイケル(男の子/5歳)は背が低くて小太りで、いつも機嫌良く飄々とマイペースで遊んでいる子ども。今日は私を見ると、ニコニコしながらいきなりハイファイブを仕掛けてきた。ふたりで手のひらを打ち合わせる挨拶だ。横にはマイケルのお母さんがいたので、「ボクは“先生と対等”で“クール”」なところを見せたかったのかもしれない。ハイファイブをして得意満面のマイケルと、それを「あらまぁ、しょうがないわね」といった顔で笑いながら見守るお母さん。


 以上はすべてアフリカンーアメリカンの子どもたち。でも、その性格や行動には“黒人ならでは”の部分は見あたらない。どんな人種でも、子どもは子どもだ。



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