2003/05/22
ハーレムの小さな風景4篇
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書籍紹介『ニューヨーク145th Street』
ハーレム125丁目でバスに乗った。座席に座ると、となりには5歳くらいの女の子が座っていた。丸いおでこ、大きな目、ブレイズにはカラフルなプラスチックの髪飾り。
目が合ったので、ちょっと笑いかけてみたけれど、女の子は真顔でじっとこちらを見つめるばかり。その子とよく似た顔立ちの母親は座席のすぐ脇に立っていて、窓の外を眺めている。
しばらくして、また女の子と目が合った。小さな右手の人差し指を、右の鼻の穴に突っ込んでいる。彼女はこちらを見つめながら、すっと指を鼻の穴から抜いて、今度は左の人差し指を左の鼻の穴に入れた。指を差し替えながら、私ににっと笑いかけた。
母親は相変わらず窓の外を見ている。女の子と私は“小さなヒミツの共有者”になったのだ。
外出から戻り、自宅のアパートのエレベータに乗った。ドアが閉まりかけたところで、おばさんが駆け込んできたので、ドアを手で押さえた。「開く」のスイッチは甘くて、押してもすぐには開かないからだ。
「ありがとね!」とおばさんは笑った。ところが、今度はいつまでたってもドアが閉まらない。おばさんは3層になっているドアの、真ん中の層を触った。するとドアが閉まった。
「私はね、ハーレム病院で働いてるの。だからこういうことを知っているのよ。稀に救急患者を乗せているのにエレベーターのドアが閉まらないことがあるからね」と一気に喋って笑った。
ハーレムでは自分が黙っていても、いろいろな人が話しかけてくる。みんなお喋りだから。ただし、こちらが「話、聞きますよ」という気配を出していなければならない。
アパートの地下のコインランドリーで洗濯をしていた。といっても最近、磁気カードが導入されて、もう“コイン”ランドリーではなくなってしまったけれど。
それはさておき、平日の午後7時頃で空いていた。ふと見渡せば、私ひとりになっていた。せっせと乾いた洗濯物をたたんでいると、トイレから若い男が出てきた。20代半ばでドゥラグを被っている。チラとこちらを見てから無言で出て行った。このアパートではあまり見かけないタイプだ。
約1分後、今度はトイレから若い女性が出てきた。このトイレには個室がひとつあるだけだ。彼女も足音もたてずに、すう〜っとランドリーから出て行った。
数分後、警備員が巡回に来た。私を見ると「ハーイ!」と言って出て行った。まあ、警備員に告げ口するほどのことでもないから。
アパートのドアマン、アーヴィンはいつも朗らかで、何人かいるドアマンの中ではもっとも住人に好かれている。おそらく30代半ばくらいか。
ある週末、そのアーヴィンがいつもの制服ではなく、バギーなジーンズ姿で、ふたりの小学生くらいの男の子を連れてアパートから出て行くのを見た。いつもはロビーに出入りする住人すべてに挨拶をするアーヴィンだけれど、今日はそんなことはなく、男の子たちと話しながらロビーを出て行った。
聞けばアーヴィンは離婚し、別れた奥さんと子どもふたりは、なんとこのアパートに住んでいるのだという。そしてアーヴィンは、週末だけ子どもたちと過ごせるのだ。(離婚の際の親権調停でそう決められたのだろう)
ということは、しかし、奥さんと子どもたちは、毎日ロビーを幾度となく通過しているのだ。アーヴィンがドアマンとして立っている時に。
<おまけ>
以前、<ハーレムを知るためのお勧め図書>に挙げた 145th Street / Walter Dean Mayer の日本語訳が出されました。
今でもハーレム随一のゲットーである145丁目に暮らす、ひとりの少年の目から見たハーレム描写です。近所には、生きているうちに盛大な葬式をしてしまう男など、ヘンな人ばかり。けれどハーレムならではの、なんといいましょうか、じんわりしたものが伝わってくる物語です。
私はかつて145丁目界隈に住んでいましたから、ここに描かれている風景がとても懐かしいです。現在はこの辺りも住宅の再開発が進行中で、これからは新しい住人が入り、街の雰囲気も少しずつ変わっていくかもしれません。
著者ウォルター・ディーン・マイヤーズはティーンエイジャー向け小説の大家ですが、この作品は大人が読んでも充分に楽しめます。(ただし英語はシンプルなので、原書も読みやすいです)
日本版のほうがオシャレ
原書はいかにもジュニア向けデザイン
ニューヨーク145番通り
著者:ウォルター・ディーン・マイヤーズ
訳:金原瑞人、宮坂宏美
小峰書店
\1,500
http://www.amazon.co.jp
※原書・単行本はここでも買えます。高いけど145th Street : Short Stories
Walter Dean Mayer
Laureleaf
文庫本 $5.50, 単行本 $11.50
http://www.amazon.com