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2003/10/14




コービー・ブライアント・レイプ事件


 ここ最近、ハーレムのトラ男や、嵐の中で歌いまくるジェームズ・ブラウンなど、楽しい(または脳天気な)内容が続いたので、今回は少々シリアスに。


 10月9日にNBAレイカーズのスター選手、コービー・ブライアントによるレイプ事件の予備審問(*)がコロラド州で開かれた。言うまでもなくコービーは黒人で、彼にレイプされたと訴えている女性は白人。この事件は果たして、レイプ問題を超えて人種問題にまで発展するのか? 以下、少々長くなるけれど、まずは事件の概要とコービーのプロフィールから。

*予備審問=訴追内容が重罪かどうかを判断するための手続き。これにより、裁判所は公判の可否を決める。


 事件が起こったのは今年6月30日。コロラド州イーグル郡のリゾートホテルにフロントデスクとして勤めていた女性(19歳)が、ヒザの治療のために同州を訪れ、同ホテルに宿泊していたコービー・ブライアント(事件当時24歳)にレイプされたとして訴えた。


 コービー側は、女性を自室に呼び、相手の同意を得てキス、セックスをしたことは認めているものの、あくまで同意の上でのことと主張し、レイプを否定。


 女性側は、キスと抱擁は同意の上だったが、それ以上は「NO」と言ったにもかかわらず、コービーに腕を捕まれて首をしめられ、イスに顔を押しつけられてレイプされたと、生々しく証言。


 この女性については当初から「芸能人志望で『アメリカン・アイドル』などオーディション番組にも出場しており、地元ではプチ有名人」「自殺を図ったこともあり、精神的に不安定」など、派手かつネガティブなプロフィールが報道され、さらに予備審問ではコービー側の弁護士が、「女性はコービーとの一件があった時期に、3日間で3人の別々の男性と関係を持っていた」と暴露。


 しかし、コービーの有罪が確定すれば、4年から最悪の場合は終身刑も有り得るとのこと。コロラド州は全米でもっとも性犯罪に厳しい法律を持つ州なのだ。


 クリーンなイメージを持ち、レイプ事件などとはまったく無縁に思えたスーパースター、コービーをいきなり襲った事件。メディアの報道は過熱し、連日のニュースに加え、予備審問前には特別番組さえオンエアされた。




 以上が事件の概要。次はコービー・ブライアントのプロフィール。


 コービーは1978年生まれの25歳。父親のジョー・ジェリービーン・ブライアントもかつてはNBAの選手として活躍し、後にイタリアのプロ・バスケ・リーグに移籍。それに伴い、コービーも少年期の8年間をイタリアで過ごしている。


 14歳でアメリカに帰国。高校でバスケの才能を発揮し、大学には進学せず、1996年にLAレイカーズ入り。18歳で初試合出場を果たし、これはNBA最年少記録となった。以後、現在に至るまでバスケ界の若きスーパースターとして活躍。2001年、当時22歳だったコービーは19歳のヴァネッサ・レインと結婚し、今年1月に初めての子どもナタリア誕生。コービーの両親は、2人が共にまだ若く、また、ヴァネッサがアフリカンーアメリカンではなくラティーノであることから、いまだにこの結婚に反対しているという。今回のレイプ事件に関しても、両親は一切コメントしていない。


※彼の業績に関してはNBA関連のサイトを参照
http://www.nba.com/japan/030108_kobe_threeforall.html
http://www.nba.com/playerfile/kobe_bryant/index.html?nav=page


 アメリカではバスケ選手は単なるスポーツ選手の域を超え、ブラックカルチャーを体現するアイコンでもある。ブラックカルチャーは今や白人やアジア系など、非黒人にとっても“クール”であり、人気選手たちはナイキ、アディダス、コカ・コーラなどのCMに登場し、中にはラップCDをリリースする者や、映画に出演する者もいる。しかし、黒人の若者にとってNBAのスターはことさらに大きな意味を持つ。自分と同じようにゲットー出身で立身出世をした選手たちは、偉大にして身近なヒーローなのだ。けれどコービーの存在は他のNBAスターとはやや違っているように思える。


 ひとことで言うと、彼は「思いっきりブラック」ではないのだ。それは彼の生い立ちに深く関係している。少年期をイタリアで過ごしたコービーは、アメリカの黒人の若者文化(=ヒップホップ・カルチャー)の洗礼を受けておらず、これは現代のアフリカンーアメリカンの若者にはきわめて稀なこと。そのため、14歳で帰国した際には周囲との同化が難しかったと言う。


 当時の高校のクラスメートにしても、「イタリア語ペラペラだけど、黒人スラングは喋らず、ヒップホップも聴かないくせに、バスケはめちゃくちゃに上手い」リッチな転校生にはとまどったことと思う。黒人少年にとってヒップホップとバスケはもっとも重要かつ、密接につながっているものだからだ。


 加えてコービーは知的で、20代前半の頃から話し方や立ち居振る舞いも年齢に似合わない落ち着き振りだ。つまり、やはり人気選手だが、ヒップホップ世代を思いっきり体現しているアレン・アイヴァーソン(フィラデルフィア76ers)たちとは、存在の在り方がまったく違うのだ。だからコービーは人種、エスニック、性別、年齢を問わず、万人に愛されるキャラクターであると言える。(私はバスケ自体には疎いので、彼の実力やプレイ・スタイルと、そこから派生する本格派バスケ・ファンへの訴求力については言及できないが)




 ここからが本題。


 最初にこの事件を知ったときには、O.J.シンプソン事件のように、また「黒人vs.白人」の人種問題になってしまうのだろうと思った。ところが今回は、そのような気配をあまり見せていない。大方は「コービー、やっちゃったな」に傾いているように見える。もちろん、熱狂的なコービー・ファン(黒人)の中には「なにがあってもコービーを支持しよう!」という声もあるけれど、それに対して同じく黒人のコービー・ファンから「本当にレイプしてしまったのなら、つぐなうべき」「相手の女性の素行は関係ない、レイプはレイプ」といった冷静な声が上がっている。


 後者は、まっとうな思考を持つ者なら当然の意見。けれど、アメリカではこれまで、それがどんな事件であれ、当事者に黒人と白人がいて、その利害が対立していれば、それはすなわち人種問題として扱われてきた。そのたびに黒人側は、敢えていうならヒステリックなまでに白人を「レイシスト(人種差別主義者)」と非難し、白人側は「もう、勘弁してくれよ。これは人種問題じゃなくて、たまたま当事者が白人と黒人だっただけだ」的な反応を見せてきた。


 今回の事件がそうならないのは何故だろう。ひとつには、黒人社会の成熟があるのだろうか。これまでとは違い、物事を「黒人vs.白人」の視点からのみ捉える必要がなくなってきたのだろうか。


 先にも上げた、コービーの中庸的なキャラクターも理由のひとつかもしれない。コービーは確かに黒人であり、黒人ファンにとってスーパー・ヒーローだ。けれどコービーのイメージは「100%ブラック」ではない。つまり、黒人ファンたちには「コービーは黒人だけのものではない」、逆に言えば「自分たちが必死になって守る必要のあるものではない」という気持ちがあるのかもしれない。




 とはいえ、この事件に絡む人種問題の要素を示唆する声も、もちろんある。ニュース番組に於ける対談で、ある心理学者は、自身のラジオ番組に寄せられた黒人視聴者からの自虐的なコメントを紹介している。


 「コービー、これまでお前はおそらく自分のことを黒人だとは思っていなかっただろ?(中略)でも、直に学ぶよ、お前も結局は黒人だったってことを」「お前も『黒人はセックス・アニマル』っていうステレオタイプを背負って生きて行かなくちゃならないんだよ」。


 こういった思いは、実は多くの黒人が今でも持ち続けている。事件の第一報が報じられた時、こう発言した黒人男性がいる。「コービーはとんでもないミスを犯したな」。ここで言う「ミス」とは、「白人だらけのコロラド州で、白人女性にちょっかいを出したこと」だ。


 白人の多い町で、白人女性が黒人男性と関係を持つということは、今でもとんでもないタブーだ。仮に女性が、コービーがセレブであることに惹かれて同意の上で関係を持ったとしても、それが周囲に知られてはマズいことになる。「だからレイプされたことにしてしまえ」。〜これが第一報を聞いたときに、この男性が推測したシナリオだったのだ。


 実のところ、コービーがレイプをしたのであれ、女性の狂言であれ、これは本来、人種問題ではない。レイプが事実ならセレブの思い上がりか、または単に男のマヌケさ故の事件だ。コービーは「レイプ犯」として裁かれるべきであって、そこには「黒人」であることは関与する余地はない。


 しかし、ここには別の問題がある。「陪審員制度」だ。アメリカの裁判は陪審員制であり、12名の陪審員は地元の一般人から無作為に抽出される。コロラド州全体の黒人比率は3.8%と全米の11%に比べるとかなり低く、事件の起こったイーグル郡では、なんと0.3%である。つまり、イーグル郡で裁判を行えば、陪審員に黒人が一人も含まれない可能性はかなり高い。


 言うまでもなく、裁判の判決とは、被告/原告/陪審員の人種やエスニックに関係なく、事実に基づいて公平に出されるべきものだ。けれどアメリカという人種&エスニック分断の国にあって、それはかなり難しい。つまり、人種絡みの事件の場合、陪審員制度は正しく機能しないことがあるのだ。


追記:コービーが有罪の場合、彼がスーパースターであることは考慮されるべきか。全米のコービー・ファンの子どもたちが親に「コービーは何をしたの?」と質問しており、親たちは答えに窮しているという。有罪の場合は、社会的な責任も負うべきかもしれない。



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