NYBCT

2004/01/08




タップの未来形
セヴィアン・グローヴァー


 ドレッドロックのタップダンサー、セヴィアン・グローヴァーが年末年始の3週間、ニューヨークのジョイスシアターで新作公演「インプロヴォグラフィー Improvography」を行った。


 11歳の頃から天才子どもタップダンサーとして映画やテレビで活躍し、1995年にはヒップホップを大胆に取り入れたブロードウェイ・ショー「ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク」で大喝采を浴び、トニー賞を受賞。2000年にはスパイク・リー監督の問題作
「バンブーズルド」に出演。昨年2〜3月には「ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク(邦題:ノイズ&ファンク)」の東京公演も行っている。現在30歳。


 「おじさんの古くさいエンターテイメント」といったイメージのタップダンスをヒップホップ世代の感覚で作り替えてしまったのが、このセヴィアンだ。ポマードで固めたヘアスタイルの代わりにドレッドを揺らし、タキシードの代わりに原色のタイダイ(絞り染め)Tシャツとバギージーンズをはいて踊る。


 しかし、セヴィアンの本質は、そういった外観やイメージの派手さではなく、本当に「タップの天才」だということ。天才なんていう言葉に当てはまるアーティストは、実はこの世に数えるほどしか存在しない。けれどセヴィアンは本物だ。ステージを観れば、それは一目瞭然だった。


 黒い衣装のジャズバンドを従え、今回はセヴィアン自身もタキシードを着てステージに登場。けれど、そこはセヴィアン流に、シャツはズボンからはみだし、ネクタイもなし。けれど驚いたことに、マイクを取って歌い始めたのだ。なにかが違う、今回のセヴィアン。


 しかし、いったんソロで踊り出すと、そこに居たのは紛れもないセヴィアン・グローヴァー。インプロヴィゼーション(アドリブ)の嵐だ。時にはバンドの演奏とまったく違うリズムで踊ることもあった。音が聞こえていて、それでも違うリズムで踊ってしまえるのか、もしくは、完全に自分の世界に没頭していてバンドの音ももはや聞こえてはいないのか。


 圧巻は、ジャズの巨匠ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シング」だった。この曲はよく「独特の浮遊感がある」「宇宙を感じさせる」などと言われる。なんというか、聞いているとこちらの意識もすうっと抜けて宙に漂い出してしまいそうな、そんな「スムーズ」な曲なのだ。けれどセヴィアンは曲の滑らかさを無視し、ひたすら激しくステップを踏み続けた。その様子は、画家のゴッホを思い起こさせた。ふつうの人間には見えない色が見えていたゴッホのように、セヴィアンにも私たちには聞こえないリズムが聞こえているのかもしれない。

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 休憩のあとの第二部は、セヴィアン率いるダンストゥループ「タイダイ」との共演だった。これが、思わぬショックを観客に与えた。


 男性ダンサー3人、女性ダンサー4人が登場した。セヴィアンのトゥループ(舞踊団)に参加しているということは、みな若手としてはトップレベルということだ。実際、「ブリング〜」の東京公演にも出演したマーシャル・デイヴィスJr.のソロは素晴らしかった。セヴィアンとはまったく異なる「ミニマリズム」と称されるスタイルのタイトな踊り。やはり東京公演に参加した弱冠14歳のカルティエ・ウィリアムズは将来が楽しみな存在だ。


 けれど、彼らがセヴィアンと共に踊った時、セヴィアンの底なしのエネルギーと奔放さ、それでいて緻密なステップに、誰一人として付いてこれなかったのだ。いや、ダンサーたちもきちんと踊っていたので、彼らだけのステージを見たのだとしたら、観客もそれなりに感心したことと思う。けれど、セヴィアンの脚と、身体の動きが、もう人間業ではなく、彼の横で踊るということは、イコール彼の天才振りを引き立たせる凡人を演じるということになってしまうのだ。

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 私がステージを見た翌日のニューヨークタイムズに、タイミングよくセヴィアンの公演評が掲載されていた。それによると、セヴィアンが師と仰ぎ、親しい仲だったタップダンサー兼俳優のグレゴリー・ハインズが昨年亡くなったことが、彼の人生の転機となったようだ。


 「パーティは終わった」……セヴィアンはそう前置きしてから、実は結婚したこと、これからは自分と同世代(つまりヒップホップ世代)だけに焦点をあてる気はなく、子どもから年配の人にまで踊りを見てもらえるようにしていくこと、2004年はテレビCMに出演したり、「ブリング〜」を新たな撮り下ろしでDVD化することなどを語っている。ステージで歌を披露したのも、先達グレゴリー・ハインズやサミー・デイヴィズJr.に敬意を表し、彼らのようなエンターテイナーを目指してのことだとのこと。別のインタビューでは、「グレゴリーの死は悲しいことだったけれど、僕を成長させた」と語っている。


 世界で唯一、自分と同じレベルのタップを踊っていたグレゴリー・ハインズが他界したことにより、彼はタップについて対等に語り合うことのできる相手を失ったことになる。これはずいぶんと辛いことだろう。まさに「孤高のアーティスト」になってしまったわけだ。

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 セヴィアン自身のことはさておき、シアターで気付いたことが、ひとつある。観客の人種構成だ。圧倒的に白人なのである。公演が行われたジョイスシアターはダンス専門の劇場で、最近はアートギャラリーの街、またはゲイの街として知られるチェルシーという地区にある。住人にはやはり白人が多いとはいえ、黒人、ラティーノ、アジア系も見かける。


 こういったリベラルな場所にある劇場で、黒人ダンサーのセヴィアンが踊ったにも係わらず、観客の90%以上は白人だった。それも50〜60代のカジュアルな服装のインテリっぽいタイプが多かった。


 話はちょっと反れるけれど、アメリカでは1960年代にヒッピー・ムーブメントとベトナム戦争があった。当時、実際にヒッピーとなったかどうかは別にして、多くの若者がヒッピー風の自由な思想に染まったし、ベトナム反戦運動にも参加した。つまり、サブカルチャーに馴染んで大人になった世代だ。その世代が今、50〜60代となっているのだ。


 その彼らが、今、セヴィアンのタップを見に来る理由はなんなのだろう? やはりサブカル好きとして、9年前に「ブリング〜」を見て感動した人たちなのだろうか。セーターにカーキパンツというカジュアルな人たちではあったけれど、セヴィアンが叩き出す怒濤のリズムを、頭ひとつ動かすわけでもなく、イスに不動の姿勢で座ったまま「鑑賞」していたのだった。


 では、黒人の観客が少なかった理由はなんなのだろう? 実は一部のアーティストや高等教育を受けた層、つまり、職場などで白人と交流がある人たちを除いて、黒人はいまだに「白人の多い地区」で行われるイベントには参加しようとしない。先にも書いたようにチェルシーは決して堅苦しい地区ではないし、チケット代も40ドルと手頃だった。それでも、黒人客は来ないのだ。(黒人の若者は問題外。セヴィアンがいくらヒップホップ・タップで有名だとしても、彼らはタップダンスなんていうジジ臭いものには興味を持たない。セヴィアン自身はティーンエイジャーのためのタップのワークショップを開くなど努力をしているけれど)


 けれど、もし黒人客が多かったとすれば、シアター内の雰囲気が全然違っていただろうと思う。あれだけのリズムをステージから発せられては、黒人ならじっとしてはいられないはずだ。


 それが理由かどうかは分からないけれど、セヴィアンはアンコールでは踊らなかった。タップの未来をたったひとりで背負ってしまった男セヴィアンに、黒人たちはこの先、一体どんなエールを送るのだろう?


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