NYBCT

2004/11/29




感謝祭の前日に
ゲットーのリアリティー



 「なぜ、こんなことができる人間がいるのか、私には分からない。しかし、これが私たちが生きている世界だ」


 事件後、ブルームバーグ・ニューヨーク市長はこうコメントした。市長は「私たちが生きている世界」と言ったが、同じニューヨークの中であっても、市長が生きている世界と、事件が起ったイーストハーレムは実は全く違う世界だ。ゲットーの実情を知らなければ「なぜ、こんなことができる人間がいるのか」理解はできない。


 今年は24日がサンクスギビングだった。アメリカ人なら誰もが家族団らんで七面鳥や盛り沢山の料理を囲む日だ。多くの人にとってクリスマスに次いで楽しい、この感謝祭の前日に、イーストハーレムで惨劇が起った。ニューヨークタイムズやNY1の情報をつなぎ合わせてみると事件の詳細は以下のようだ。


 朝の7時にエベレット・ジョージ(34歳・黒人男性)が恋人の家に押し掛け、恋人と自分の子である12歳の男の子と1歳の女の赤ちゃんを射殺した。その直後に銃が故障したため、恋人は間一髪で命拾いをしている。


 エベレット・ジョージはブロンクスの別の恋人の家に逃走し、その後に抗鬱剤の過剰摂取状態で自ら病院に駆け込み、逮捕された。現在はベルビュー病院で自殺を防ぐための監視下に置かれている。


 エベレット・ジョージと恋人は1歳の長女の養育権をめぐって揉めていたという。

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 エベレット・ジョージの過去はいささか奇妙だ。1997年にニューヨーク市ライカーズ刑務所の刑務官となったが1年少々で辞めている。2000年に同刑務所に再就職したものの、初日からの無断欠勤により5日で解雇されている。2002年には警官になろうとNY市警に応募しているが、心理テストと身体テストで不合格となっている。



 事件が起ったアパートの住人は、ニューヨークタイムズの記者に、エベレット・ジョージが怒りを爆発させ、ベビーカーを壊したことがあると語った。ところが、やはり同じアパートに住んでいる私の知人は「二人とも良い人たちだった」と言っている。


 ニューヨークタイムズには、今夏、ABC局でオンエアされた「NYPD 24/7」というドキュメンタリー番組にエベレット・ジョージが出演したとも書かれている。テレビ局のカメラが警察に24時間張り付き、実際に起った事件事故を撮影する、よくあるタイプの番組だ。


 その番組撮影期間中、ブロンクスのアパートにいたエベレット・ジョージが、隣家の女性が11歳の息子を人質に立てこもっていると警察に通報したのだ。その女性も息子の父親と養育権で揉めていたのだという。

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 情報が限られているので、エベレット・ジョージの人柄や生い立ちなどは分からない。けれど報道された内容からすると、根は悪人ではないのではないかという気がする。処方箋がなければ買えない抗鬱剤「ゾロフト」を持っていたということは鬱病か、それに類する精神的な問題を抱えていたのだろう。(ちなみにこのゾロフトという薬、劇的な効果があり、多くの鬱病患者が使っている。ただし、ティーンエイジャーが使うと逆に症状が悪化するというリポートもある。)


 エベレット・ジョージは隣家の揉め事を見過ごすことが出来ずに警察に通報している。テレビカメラが一緒にやって来ることは知らなかったはずなので、テレビに写ることが目的ではなかっただろう。


 刑務所を無断欠勤でクビになっているが、「刑務官がダメなら警官になろう」と考えている。失業保険に頼らず、何かしら手堅い仕事に就きたかったのだろう。


 エベレット・ジョージが逮捕時にこのゾロフトを過剰に飲んでいたということは、事件を起こした時も過剰摂取していた可能性がある。


 恋人側に関する情報はほとんどないが、12歳の長男は自閉症で、この男の子を除くと、女性4世代同居の家族だった。つまり、亡くなった赤ちゃんと、その母親である恋人、恋人の母親と祖母。ゲットーでは「夫不在」は、ごく当たり前の現象だ。

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 自分の子どもを殺してしまった人間を擁護することは、何があってもできない。エベレット・ジョージが性格破たん者である可能性もある。けれど、アメリカの都市部のゲットーには、人をこういった異常な行動に走らせてしまう要因が少なからずあることも事実だ。


 鬱病を含む精神疾患は白人よりも黒人に多い。遺伝もあるだろうが、生活環境によって発症することも多いはずだ。ゼン息の子どもも極端に多い。古くて手入れの行き届いていないアパートに暮らし、ネズミやゴキブリの糞を常に吸ってしまうからだ。黒人男性と白人男性の平均寿命を比べると、黒人男性が7年も短い。ストレスがいろいろな病気を誘発するのだと言われている。また、アメリカで十分な収入がなければ、安くて高カロリー(=高コレステロール)な食事をせざるを得ない。


 ゲットーでは人は常に強いストレスにさらされている。ストレスに負けた人間が早死にしたり、犯罪に走ったりするのを真近に見ることも、さらにストレスを加速させる。今回の事件で子どもふたりを目の前で殺されてしまった恋人は、今後、果たして立ち直ることができるのだろうか。


 ブルームバーグ市長は「なぜ、こんなことが出来る人間がいるのか、私には分からない」と言った。それが当たり前だと思う。こんな事件の背景が理解できる環境に、人は暮らすべきではない。


 けれど、ハーレムというゲットーに暮らす黒人たちは、今回の事件に相当のショックを受けながらも、それでも同じゲットーの住人がこういった事件を起こしてしまう理由を、悲しいかな、市長よりもはるかに理解してしまえるのだ。





ゲットーの象徴プロジェクト(低所得者用公団アパ
ート)外観からは分からないが、住環境は悪く様々
な問題を抱えている

追記:今回の事件が気になり、この記事を書いたのは、ちょうど「ヒップホップの真実〜貧困と犯罪、そして未来(*)」という特集記事を書き終えたところだからだと思う。黒人社会に経済面での多様化(中流化)が起っているとはいえ、まだまだ貧困は根強く存在し、貧困は犯罪を生む。ギャングスタ・ラップがここまで定着したのも、犯罪を謳うギャングスタ・ラップにゲットーの若者が「リアリティー」を感じるからだ。「白人もラップを聴いている」「売るためのイメージだ」「まともなラップもある」など、いろいろな意見があるだろう。けれどゲットーには今も貧困と犯罪がある。それは紛れもない現実なのだ。

*U.S. FrontLine12月第3週号(12/16発行)に掲載予定




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