NYBCT

2000/06/06

ニューヨークに於ける人種的日常生活

昨日の夜からバスルームもキッチンもお湯が出ない。こんなことは初めてだけれど、とにかくシャワーを使いたかったので、夜中の2時にアパートの1階に住む管理人のダニーに電話する。しかし住人のあいだで怠け者として知られる彼は当然、電話に出ない。今朝も8時に電話したけれど、やはり彼は電話に出ない。「ハイ、アイム・ダニー…」留守電から流れるプエルトリコ訛りの巻き舌メッセージを聞き、無駄と知りつつも折り返し電話をくれるようメッセージを残す。予想通り、電話はかかってこなかったが、10時頃にお湯が出だしたので、ダニーの阿呆と毒づきながら、ようやくシャワーを浴びる。


洗い髪を乾かしていると、ハーレムに住むギタリストのみつ君から電話。彼は先週、アポロシアターのアマチュア・ナイトにジャズ・シンガーのさちこさんと出たのだけれど、残念ながらブーイングを受けて最後までプレイすることが出来なかったとのこと。アフリカン・アメリカンの観客たちはアジア人の出演者にはキビしいのだ。
電話の用件は、彼のルームメイトであるブルース爺さんのテッドが今月、日本へのツアーに出るので、そのライヴ・スケジュールを日本の友人にメールで送る件。


電話を終えてから、染みを作ってしまったスカートを持って近所のクリーニング屋へ。店番をしているのは、いつもにこにこと愛想の良い韓国人のおばさん。ニューヨークのクリーニング屋は、そのほとんどが韓国人の経営だ。彼女に「ハバグッデ〜」と見送られながら店を出、数件先にあるデリ(食料品屋兼総菜屋)に入る。サラダやハムが並んだガラスのショーケースの背後に立っている若いアラブ系の男性店員にクロワッサンをひとつ頼むと、にこやかに「それだけ? コーヒーはどう?」と、さりげに商売熱心。コーヒーは断って、レジの可愛いラティーノの女の子に代金を渡す。ちなみにデリのオーナーには韓国人かアラブ人が多く、ダイナーと呼ばれる大衆レストランのオーナーにはギリシャ系が多い。


地下鉄を乗り継ぎ、グランド・セントラル・ステーションへ。駅を出て通りを一本渡り、マディソン・アベニューにある日系の雑誌出版社まで翻訳のバイト代を取りに行く。担当の中井さんは、きょとんとしたリスを連想させる小柄な若い女性で、いつも忙しそう。挨拶を交わしてチェック(小切手)をもらい、早々に失礼する。


今回のバイト代は、とある事情によりチェックと現金の両方でもらった。地下鉄の駅に降りてから、もらったばかりのバイト代でメトロカード(磁気で読み取る地下鉄回数券)を買おうとしたら、なんと封筒の中身は50ドル札ばかり。アメリカでは大抵の店は20ドルより高額の紙幣は受け取らない。釣り銭不足と、高額の偽札を掴まされるのを避ける為だ。ものは試しとアフリカン・アメリカンの駅員にアプローチするも、50ドル札はダメとにべもなく断られる。ニューヨークの地下鉄とバスの運転手、車掌、駅員は、そのほとんどがアフリカン・アメリカンだ。おそらく70〜80%はそうだろう。あとはラティーノ。白人が数えるほどで、アジア系はまずいない。


地下鉄2ラインでハーレムのYMCAに出勤。ハーレムはもちろんアフリカン・アメリカンのコミュニティだけれど、最近は白人やアジア人も結構見かけるようになった。とは言え、今日レノックス・アベニューですれ違ったアジア系の郵便配達人には驚かされた。郵便局勤務も圧倒的にアフリカン・アメリカンが多く、特にブラック・コミュニティでアジア系のポストマンを見かけることは、まずないからだ。


YMCAに入る前に、2軒先にあるドミニカン経営のデリでコーヒーを買う。店員はもちろん英語で注文を訊くが、カウンターの中はスペイン語オンリー。私がいつも頼む“砂糖なしミルク入りのコーヒー”もスペイン語に翻訳されて店内を飛び交う。“Cafe!! Con leche!! Y sin azucar!! ”


舗道で立ち話をする大人たちと、走り回って遊んでいる子供たちを除けながらYMCAに入る。ここのスタッフはハーレムという場所柄、ほとんどがアフリカン・アメリカンだけれど、ラティーノ、カリビアン、アフリカンもいる。成人コンピュータ・クラス講師のジョニーはドミニカン。ボランティアとしてYにやって来る薬剤師のアーノルフはハイチ人。ドミニカ共和国とハイチはカリブ海に浮かぶひとつの島で隣り合わせに位置する国だけれど、ドミニカはかつてスペイン領だったのでスペイン語が公用語なのに対し、ハイチはフランス領だったのでフランス語とパトワ(フランス語と現地語が混ざった言語で、一般のハイチ人が使う)が使われている。だからドミニカ人のジョニーは“ラティーノ”もしくは“ヒスパニック”で、ハイチ人のアーノルフは“カリビアン”ということになる。これは生物学的人種ではなく、文化と歴史に基づいた“分類”なのだ。もっともジョニーは典型的ラティーノ顔、アーノルフもこれぞカリビアン!な顔立ちではあるけれど。


考えてみれば、就学前児童プログラムの責任者であるモニカがハーレムYMCA唯一の白人で、私は唯一のアジア人。


コンピュータ・クラスを終えた後は、ハーレム観光ガイド雑誌プロジェクトのミーティング。メンバー6人のうち3人がアフリカン・アメリカン。とは言え、彼らの肌の色は三人三様にまったく違う。プロテイン飲料をガブ飲みしているベイビーフェイスのビッグガイ、マシューはスペシャル・ダークなチョコレート色。ユース部門のディレクターであるジェントルマン、チャールズはミルク・チョコレートくらいの色合いか。ダンス・プログラム担当のジョゼットは、ちょっぴり日焼けした日本人くらいのライト・スキン。残りのメンバー、ロバートはプエルトリカン&キューバンだけれど、一見白人に見える顔立ち。普段はハーレム病院の教育プログラムで働いているタラの両親はインド人とフィリピーナ。


帰宅途中、プロジェクトのメンバーと西100丁目あたりのチャイニーズ&スパニッシュ・レストランへ行く。中華とスペイン料理とは一見、異様な取りあわせの様だけれど、ニューヨークでは結構見かける。かつてキューバへ移住した華僑たちが作り上げ、その後、彼らがニューヨークへと持ち込んだレストランのジャンルだからウエイターは当然、中国人。50年配のおじさんウエイターに「ライスは何にする?」(白飯、ブラウン・ライス、サフラン・ライスがある)と訊かれたけれど、あまりにも訛りが強く、聞き取るのが大変だった。

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今日はYMCAでモニカを見かけなかったので、まる一日、白人とは話さなかったことになる。いや、自宅アパートの入り口でドアを開けてくれた青年に「サンキュー」と言ったか、そういえば。


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