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2002/01/19

映画『Ali』
ウィル・スミスが演じるモハメド・アリ


 世紀のボクサー、モハメド・アリは、パーキンソン病に冒されて話すことすらままならない現在も、ここアメリカでは最も尊敬されている国民的ヒーローのひとりだ。そのモハメド・アリの1964年から1974年にかけての姿を描いた伝記映画「Ali」を観た。


 公開前から主演ウィル・スミスのアカデミー賞ノミネートが噂されていた。…ウィル・スミス? あんなに細くて、しかも童顔な“akaフレッシュ・プリンス”がモハメド・アリ?−−実はこれに関しては心配はまったく要らない。まる一年、当時のアリと同じトレーニングを積んで鍛えたという身体と微妙なメイクアップ。誰が見ても驚くほどアリに似ている。


 では、アリのキャラクターは? あの有名なフレーズ「蝶のように舞い、蜂のように刺す」を含め、映画でもウィル・スミス・アリは公の場では吠えまくる。対戦相手のボクサーを罵倒し、また即妙なやり取りでスポーツ・キャスターを苦笑させる。ところがプライベートな場面ではとことん寡黙。ほとんど喋らないといってもいい。


 特にアリがジョージ・フォアマン(*1)との試合のためにアフリカのザイールを訪れた際の描写。アリが小さな町の中ををランニングする。アリに熱狂して後をついて走る人々と子供たち。やがてアリは家々の壁に描かれたたくさんの素朴な絵を目にする。リングで勝利を収めるアリの姿。アフリカの貧しさを訴える図…。アリの無敵の強さが、アメリカからは遠く離れたアフリカですら、人々(黒人)が貧しい生活に耐える糧になっていることに気付き衝撃を受けるアリ。ところが無言のままに壁画に見入るアリの様子は、まるで許容能力以上の情報をインプットされてフリーズしてしまったコンピュータのようで、なんだかおかしい。この時に受けた衝撃がその後のアリにどう反映されたのかは、ここからは判らない。


 これはアリのトレードマークであった公衆の面前での派手なリップ・サービスと、私生活での寡黙さとの対比を表わしているのだと思われるけれど、もう少し突っ込み、キャラクターの複雑さを出してみても良かったのではないかと思える。もっとも現役時代からのアリ・ファンによると、「彼は本来、とてもシンプル(単純)な人間だ」とのことだけれど…。


 実はこの映画、ボクシングよりも黒人差別の激しかった当時の時代背景、マリオ・ヴァン・ピーブルズ演じるマルコムXとの交流やイスラム教への改宗、ベトナム行きを拒否したことから起るトラブルをメインに描いている。マイケル・マン監督はこういった事実をかなり忠実に撮ったらしく、マルコムとアリがハーレム125丁目にあったホテル・テレサ(*2)の一室からアポロ・シアターを見下ろす場面や、マルコム暗殺シーンでの日系人ユリ・コウチヤマ(*3)の登場などに驚かされる。映画評論家のあいだでは、本編ではカットされた細かなエピソードがまだまだあるのではないかと言われている。


 だが、そんなマン監督もしょせん男性。アリの女性遍歴に関しては事実に即して当時の3人の妻を登場させているものの、アリの浮気な性分については「ま、仕方ないか」的な描き方で済せている。結婚生活を送った男女の別離・離婚の苦悩についてはほとんど描写されていない。


 なお、アリの最初の妻はウィル・スミスの実際の妻ジェイダ・ピンケット・スミスが、イスラム教徒である二人目の妻はノーナ・ゲイ(マーヴィン・ゲイの娘)が演じている。アリの父親役は、スパイク・リー作品の常連でもあるジャンカルロ・エスポジート。かなりの実力派アクターではあるけれど、黒人とイタリア人とのミックスであるエスポジートは、どう見てもウィル・スミス・アリの父親には見えない。「俺は黒人の白人だ」と言って笑わせてくれるブラック・ユダヤ教徒を熱演したジェイミー・フォックスは、これまでの映画キャリアの中では最高の出来。アリと交流の深かった有名なスポーツ・キャスターを演じているジョン・ヴォイトも特殊メイクで健闘している。


 最後に、音楽は見事。ヒット曲のコンピレーションではなく、最初から最後までスクリーンを盛り上げるために厳選された曲のみによって構成されている。音楽とシーンの相乗効果に圧倒されながらの2時間38分と言っても過言ではないだろう。


(*1) ジョージ・フォアマン=当時は脅威の強さを誇ったボクサー。引退後は牧師となり、自分で教会を興した。現在は「ジョージ・フォアマン・グリル」という焼き肉グリルを販売し、これが大ヒット。料理番組にも出演するなど、お茶の間の人気者的存在。

(*2) ホテル・テレサ=今は雑居ビルとなっているが、白亜の外観デザインは素晴らしい。

(*3) ユリ・コウチヤマ=当時ハーレムに暮らし、日系人でありながら公民権運動に没頭し、マルコムXとも交流があった。マルコム暗殺の瞬間にステージに駆け寄り、撃たれて倒れたマルコムの頭を膝に乗せている写真は有名。詳しくは
「ユリ 日系二世 NYハーレムに生きる」(1998)
著:中澤まゆみ
文芸春秋社 ¥1,762



『Ali』公式サイト
http://www.sony.com/Ali



 なおユリの娘婿テリー・ウィリアムズは民族学者。その息子でユリの孫にあたるズルはストリートファッション・ブランド「PNBネイション」の創設者のひとりでヘッドデザイナー。以下は「Ali」とはまったく無関係だけれど、興味深いので紹介します。


「コカイン・キッズ―麻薬ビジネスの青春」(1991)
著:テリー・ウィリアムズ
平凡社¥1,553


ズルへのインタビュー(英語)
黒人と日系のミックスであることについて/日本のヒップホップについて/PNBについて
http://www.longwoodcyber.org/Artists/TomieArai/Web/tripleassets/mixedpage2.html



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