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1999.7.17

スーパーキャリアウーマン
と セクシーゲイボーイ
アフリカン-アメリカン作家による現代小説
Super Career Women and Sexy Gay Boys
Contemporary Novels by African-American Writers


 
紀伊国屋や旭屋などの大型書店に行くと、いつもあきれるほど大量の本が並んでいるわけだけれど、アメリカ黒人作家の小説を探してみると、これがなかなか難しい。あるにはある。ピューリッツァー賞を受賞した純文学の大家トニ・モリスン、映画にもなった「カラーパープル」の原作者アリス・ウォーカー、ホイットニー・ヒューストン出演でこれも映画化された「ため息つかせて」の原作者テリー・マクミラン、黒人探偵イージー・ローリンズ・シリーズ(シリーズ第一作「ブルードレスの女」はデンゼル・ワシントン主演で映画化)のウォルター・モズリー。あと、一般の書店ではなかなか見かけないけれど、リチャード・ライト等の1930〜50年代の黒人文学黎明期の作家の作品が黒人文学全集の形で刊行されている。ただしそれらの作品は、当時の激しい黒人差別を描いたかなりシビアで社会的な内容。
 
その著作の大半が日本語訳で出版されている上記の作家は、いずれも文学賞受賞や映画化などでマスコミの話題を集め、全米ベストセラーを複数出している超有名作家。ここでちょっと統計学のお勉強。全米における黒人人口の比率は12%。と言うことは、黒人作家の作品は黒人コミュニティで、それこそ“一家に一冊”ぐらいの勢いで売れるか、もしくは白人にも読まれない限りはチャート・インしないということ。(蛇足ながら、そう考えると全米音楽チャートにおけるブラックミュージックの浸透振りは、実はすごいこと)そして、日本語訳が出るのは、そうしたベストセラー作家の作品だけ。
 
では、今現在、実際にアメリカで黒人たちに読まれている黒人作家は誰? そしてそれは、どんな小説?  日本語訳が出ているもの、未訳のもの、取り混ぜていくつかあげてみることにする。


 
●テリー・マクミラン「ため息つかせて」
ホイットニー・ヒューストン、アンジェラ・バセット、ウェズリー・スナイプス等の豪華顔合わせにより映画化もされた大ヒット作品で、前述どおり、日本語訳ももちろん出ている。
 
TVプロデューサー、一流保険会社勤務、美容院経営者、社長夫人という華々しいキャリアを持ちながらもなぜか男運の悪い4人の女性の友情物語。全員がそれぞれ男性に幻滅させられ、それでも理想の相手を探し求め、最後には四者四様に形は違えど、幸せを手に入れるというストーリー。
 
このテリー・マクミラン(女性)は主に現代の黒人キャリア女性のライフスタイルを描く。社会的に成功したキャリアウーマンであっても、テリーが描く主人公たちのプライベートでの交友関係はあくまで黒人同士に限られている。したがって、そこには「黒人であること」へのこだわりを、ことさらに強く主張する必要は生じない。
そこがベストセラーたる所以だろう。黒人読者にしても娯楽として読む小説は楽しいほうが良いに決まっているし、なんと言ってもテリーの小説のテーマは「現代女性として生きる」ことで、作中では、だらしない昨今の男を女がこてんぱんに非難するのだから、女性なら誰でも多いに楽しめるというわけ。(そのかわり男性からの評判は芳しくないようで…)
 
それでも、細部をよく読めば実はあちこちに主人公たちが「黒人であること」を表すエピソードがはさまれている。
 
社長夫人として何不自由のない生活を送っていたバーナディンは、ある日突然夫から離婚を宣告される。夫の再婚相手は、夫の秘書である白人女性。社長夫人が一介の秘書に夫を奪われたというのに、バーナディンが、それこそ怒髪天を突く勢いでまくしたてたのは「白人女」に夫を奪われたということ。
 
またテリーの他の作品「ステラが恋におちて」で主人公ステラが旅先のジャマイカの乗馬クラブで馬を借りた際に、貸し出し係の老人(もちろんジャマイカ黒人)が規定より安い金額しか請求しない。白人旅行客が多いなか、これは数少ない黒人客であるステラと老人との“black thing”だとステラは解釈する。(black thingもしくはblack thang=黒人がよく使う表現。黒人同士のこと、黒人であるがゆえに派生すること、といった意味合い。肯定的に使われる場合が多い)
 
次は日本語訳は出ていないけれど、現在の黒人小説を知るうえで参考になると思える作家。


 
●ベベ・ムーア・キャンベル「ブラザーズ&シスターズ」
テリー・マクミランと同様に、主人公はキャリア・ウーマン。だけどテリーの世界が黒人社会に限定されているのに対し、ベベのテーマは“黒人がいかに白人と交わっていかなければならないか”ということ。だから二人の作品は一見似ているように見えて、実はまったく違う。
 
主人公エスターは銀行勤めのキャリア・ウーマン。職場では白人の上司と仕事をこなし、黒人やヒスパニックの部下の面倒を見る。同僚の白人女性マロリーとのあいだには驚くべきことに友情が芽生えつつあるが、デートの相手はもちろん黒人オンリー。ジョギング帰りには韓国人のドーナツ屋でマフィンを買うのが習慣。隣家には白人と黒人の夫婦が越してきたばかり。そんなある日、銀行の上層部に有能なエリート黒人男性がやってきた…。(その有能黒人男性とデキちゃったりする安直なストーリーではないので、念のため)
 
日本人には判りづらい背景をあげておくと…
(1)アメリカの銀行では窓口係は出世とはほとんど無縁の、いわゆる“ただの事務職”扱い。したがってマイノリティ(黒人、ヒスパニック、アジア系等の少数民族)も多い。

(2)しかし管理職になると銀行に限らず白人が大多数を占める。だからマイノリティは出世すればするほど人種的には孤独になる。

(3)マイノリティが大出世した場合、それは本当に本人の実力によるものなのか、会社がマイノリティ登用によるイメージアップを狙ったものなのか、という噂が常に立つ。

(4)白人と黒人のカップルや“親友同士”は都市部においても相当少ない。
 
そんな社会背景のもと、主人公エスターと主要キャラクター達は四六時中、自分のアイデンティティにかかわる問題に遭遇してしまう。
 
・エスターは窓口係を面接した際に「仕事がデキそうな白人青年」と「未婚の母である黒人ティーンエイジャー」のどちらを採用するべきか悩む。人選に失敗すれば自分の出世にかかわる。だけど同じ黒人として同胞を助ける義務もある…。
 
・エスターは隣りに越して来た黒人=白人夫婦を好きになれない。黒人男性が白人女性を選ぶのは、自分たち黒人女性に対する裏切り行為のような気がするから。
 
・エスターの同僚である白人女性マロリーは、エスターを知れば知るほど彼女の黒人としてのアイデンティティの強さに驚き、「あなたたちはまるで“アメリカ人”である前に“黒人”であると思っているみたいね」とつぶやく。
 
・有能黒人男性ことハンフリーは自分の出世に心酔するが、同時に白人社会での失敗を極度に恐れてもいる。銀行の豪華な執務室で“I am the man.”(俺は男だ)と繰り返しつぶやく。
 
とまぁ、黒人、白人にヒスパニックも加え、彼らが自分を、またお互いをどう思っているのかということがかなり鋭いタッチで描いてあり、読みごたえ充分。でも笑えるところも。ある日、エスターが無能上司に怒り爆発。上司の前で仁王立ちになり、片手を腰にあてて、もう片方の人指し指を上司の鼻先に突きつけ「この、ゆうべの残り物のパスタみたいなふにゃちん野郎!」と一喝。後にエスターは自分の態度があまりに“黒人っぽかった”と後悔するのだけれど。
 
黒人は良きにつけ悪しきにつけ、セクシャルなことを食べ物で比喩する。よく知られたものならブラウンシュガーとか、古くはジェリーロール(ジャムのはさまったロールパン)とか。(私は今ちょうどディアンジェロの「ブラウンシュガー」を聴きながらこれを書いている。とってもエッチな曲です)セクシャルなことに限らず、黒人英語はとにかく口語表現が豊か。これがラップを生んだ土壌でもあるのでしょう。
 
本題に戻る。テーマの違いはあれ、テリーもベベも、そして他の多くの黒人女性作家も、キャリアウーマンを主人公にすることが非常に多い。これはなぜ? 白人に比べるとキャリア女性の数も少ないはずの黒人なのに?
理由のひとつは作家自身がキャリアであること。小説家としてスタートした人は少なく、みんな他の仕事で十分なキャリアがあり、そして執筆第一作目がいきなりヒットというケースが多い。また白人に比べると少ないといいながらも、黒人層にも確実に中流階級とキャリア組が増えてきている。もうひとつの理由は、マイノリティで、平均所得も白人に比べて低いからこそ、読者たちは“憧れの存在”としてキャリアな女性主人公たちに夢をはせている、のかも。自分たちと同じ苦しい庶民の生活なんか、わざわざ小説のなかでまで見たくない、のかも。もっともっと黒人作家の数が増え、それによって読者の読書量や嗜好が拡がれば、そういった作品も出てくるのかも。
 
今度は男性作家について。
そもそも現代の黒人作家には圧倒的に女性が多い。これはなぜ? それは黒人男性のメンタリティに理由がありそう。一般的に黒人男性にはマッチョ思想があり、肉体的にも精神的にも強くありたいと願う気持ちが相当強い。(その理由はまた別の機会に) 
あるジャズ・ドラマーはまだ十代のころ、ドラムをやっているという理由で近所の友達から“Sissy !”(女々しい、弱虫)とからかわれていたと語っていた。楽器の中ではいちばんマッチョなイメージのドラムですら弱虫なら、物書きなんてもってのほか、ということ。という理由により男性作家は少ないのでは、と私は勝手に推測しているけれど。
 
●ウォルター・モズリー「青いドレスの女」
数少ない黒人男性作家のなかで現在トップにいるのは、このウォルター・モズリーでしょう。1950〜60年代のロサンゼルスの黒人地区ワッツを舞台に活躍する私立探偵イージー・ローリンズのシリーズは絶好調で既に5,6冊が刊行済み。私立探偵の例にもれず、クールでニヒルな主人公イージーだけど、時代設定が絶妙で、独特のノスタルジーに引き込まれる。またイージーはもちろん黒人だけれど、毎回、主要人物の一人が白人。イージーとその白人との微妙な関係がまた面白い。これは作者の奥さんが白人という事実と関係あると私は確信。
 
あと男性作家のなかではゲイ作家が目立つ。これは彼らが“作家なんか女々しい”という間違ったマッチョ思想に邪魔されないからでしょう。


 
●E.リン・ハリス「インヴィジヴル・ライフ」
ゲイの青年弁護士レイモンドが主人公の、おっしゃれ〜なシリーズ。主人公はストレートからバイセクシャルを経て100%ゲイへと進化(?)していくのだけれど、昔のガールフレンドと新しいボーイフレンドのはざまで悩みまくるシーンでは「どっちか、はっきりしてよ!」と若干イラつかせられてしまいました。それはともかく、都会のリッチなバッピー(ヤッピーの黒人版)のライフスタイルがよく判り、アメリカ人もやっぱりこういうトレンディさに憧れるということを確認。あと彼の文体で特筆すべきは肌の色の描写。ビスケット・ブラウン、コーンブレッド・ブラウン、ゴールデン・トースト・ブラウン、ドーナツ・ブラウン、リッチ・カラー・オブ・ビタースウィート・チョコレート…。なんだか素敵。(やっぱり全部食べ物ネタ)


 
●ジェイムズ・アール・ハーディ「Bボーイ・ブルース」
これもまたニューヨークを舞台にしたゲイ物語の人気シリーズ。でもこちらの主人公プーキィはバッピーどころか、高校中退、性格はわがままでやりたい放題。なぜか一児の父親。だけど妙にワイルドで魅力的、というキャラクター。そんなプーキィの恋人はバッピーな雑誌編集者。二人のキャラクターの違いが面白く、またベッドシーンでのヴィヴィッドな描写はあまりにセクシーすぎて、かえって爽快感を覚えてしまいます。よくぞここまで、みたいな。だけど、ジェイムズ・アール・ハーディもE.リン・ハリスも、ただただトレンディでセクシーなゲイ・ライフを書いているわけではなく、いくらエリートでリッチでも黒人でゲイという“マイノリティ2乗”がいかに厳しいかも描いている。黒人差別、ゲイ差別、家族へのカミングアウト、エイズ…。
 
あとプーキィのセリフ部分はすべてエボニックスといわれる黒人英語で書かれているので、それも興味のある人には面白いかも。
 
こういった興味深い作品が日本でも出版されることを願いつつ、今回はお終い。




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