NYBCT

2005/04/10



ハーレムを読む


A Landload's Tale/Gammy L. Singer
大家の物語/ギャミー・L・シンガー
日本語訳版は未出版
原書は以下で購入可能
http://www.amazon.com






 ハーレムを舞台にした小説は、実は結構な数が出されている。古典からロマンス、ジュニア向け、ヒップホップ小説(というジャンルがあるのだ)などジャンルはいろいろなれど、著者はハーレムの住人であることが多い。


 この街に住む人たちは「I love Harlem!」とよく口にする。もっとも、ここは低所得層が多いマイノリティ・コミュニティであり、貧困、暴力、DV(家庭内暴力)、ドラッグなど、さまざまな問題が山積している。作家たちもハーレムという街が引き起こすトラブルを生身で体験してきている。だから彼らの「I love Harlem!」には、愛憎表裏一体の複雑なニュアンスが含まれている。


 それでもハーレムについて小説家や詩人は書き、絵描きは描き、シンガーは歌い、ラッパーはライムすることを止められないのだ。


A Landload's Tale/Gammy L. Singer
大家の物語/ギャミー・L・シンガー

 1970年代のハーレムを舞台にした、ユーモラスで人情味たっぷりのミステリー。のんびり呑気なハーレムの街や住人の描写のためか、ミステリーというよりハーレムご近所物語といった感じだ。実在するジャズバーなどがたくさん登場するのも楽しい。


 主人公のエイモスは30代後半の独身男性。気のいい人間だが、ギャンブル好き。これまでは違法のナンバーズ賭博を仕切り、その稼ぎでギャンブルを楽しみ、かつ、そこそこ贅沢に暮らしてきた。


 ところがついに運が尽きたとみえ、大物ドラッグディーラー相手のポーカーで大負けし、借金を抱えてしまう。借金取りから逃げ回る暮らしを始めた瞬間に、運良く(もしくは運悪く)、ロクに会ったこともなかった父親が亡くなり、ハーレムに建つブラウンストーン(*)のアパートを相続することとなった。

※ブラウンストーン:茶色い石で建てられたタウンハウス。ハーレムでは1900年前後に中上流の白人のために建てられたが、その後にハーレムは黒人街となった


 一文無しとなっていたエイモスはアパートに移り住み、大家というカタギの仕事に生まれて初めて挑戦する。アパートの住人は一癖も二癖もある連中で、家賃の取り立てやアパートの修理に四苦八苦の毎日が始まる。


 そんなある日、地下室の壁の中から白骨死体が見つかる。以後、エイモスは死体の身元割り出しに励み、その一方で借金の精算のためにイヤイヤながら大掛かりな麻薬取引もする。同時に父親の遺品に目を通しながら父の人間像を模索し、自らの生立ちの謎にも迫っていく。もちろん、美人のナース、キャシーとのロマンスにも精を出す。こんな風に多忙な日々の合間に、アパートの住人たちもトラブルを持ち込み続けるから、大家とは大変な仕事だ。


 興味深いのは、トリニダッド系の住人が何人も登場することだ。
トリニダッドはカリブ海にある島国で、今でもニューヨークに暮らすカリブ海系(正確にはスペイン語圏を除くカリブ海周辺の諸国出身者。ウエスト・インディアンと呼ばれる。)の中では、ジャマイカ系、ハイチ系に次ぐ人口。もっとも、その多くはブルックリンに住んでいる。ニューヨークには黒人コミュティがたくさんあり、大枠ではハーレムはアフリカン・アメリカンの街、ブルックリンはカリビアンの街となっている。けれどハーレムにも昔からウエスト・インディアンは暮らしていた。


 この小説にはトリニダッドから移民としてやってきて、何年もハーレムに住んでいる不気味な老人が登場する。この老人は、ある理由から主人公エイモスにヴードゥーの呪いをかける。ヴードゥーといえばハイチの信仰として知られており、周辺の諸島ではそれぞれ似た信仰が別の名前で呼ばれている。(そうか、トリニでもヴードゥーと呼ぶのか。私もひとつ学びました。)


 この小説、人気作家ウォルター・モズリーが1950年代のロサンジェルスの黒人ゲットー、ワッツを舞台に書いた
「イージー・ローリンズ」シリーズのハーレム版とも言える。どちらも性根は優しいやさぐれ男が、成り行きで探偵まがいのことをしてしまうのだ。けれどイージー・ローリンズの緊迫したダークな雰囲気はここにはまったくなく、良くも悪くもハーレムのあっけらかんとした呑気さがあふれている。


 作中には「70年代はハーレムの最悪の時期だった」という記述がある。まさに麻薬と暴力があふれる時代だったのだ。ギャングやドラッグディーラーだけではなく、一般人もなかなか前向きに生きることができなかった時代だ。作中、エイモスはアパートの修理に関して「黒人コミュニティの経済を助けるためにも黒人を雇いたいが、黒人経営の会社は仕事をちゃんとしない」と言い、イタリア系の修理会社に依頼をしている。(ハーレムの中流層の住人がハーレムの会社に仕事を依頼しない、ハーレムの病院には行かないなどの傾向は、実は今でも存在する。)


 けれどこの小説に登場するゲットーの住人たちは、それぞれが異なる魅力を持っている。初対面のエイモスに悪態を付きつつ、臆面もなく小銭をせびる、通りすがりの「尻のデカい」中年女性。管理人のセルツァーは小柄な年配の男だが、ブロンクスとハーレムのゲットーを生き抜いてきたストリート・スマート。エイモスに対して最初はガードを張るが、いったん分かり合えると以後はエイモスに忠誠を尽くす。ほかにも、いつもニコニコと機嫌よく、エイモスとアパート入り口の階段で酒を酌み交わすミス・エリーや、面倒見の良いゲイのウィルバー。


 なんだかんだ言いながらアパートの住人たちはそれなりに日々を楽しみながら生きているが、唯一、ゲットーの運命に飲み込まれてしまうのが、十代のシングルマザー、パティだ。パティの生んだ赤ん坊は
鎌状赤血球貧血(黒人特有の病気)だった。自身もまだ大人になり切れていないパティは一人で重病の子供を育てるプレッシャーに耐え切れず、赤ん坊を捨ててドラッグに走ってしまう。


 ちなみに作者のギャミー・シンガー、本職は女優さん。クリス・ロックがアメリカ大統領候補となり、どたばた選挙キャンペーンを繰り広げる映画「Head of State」の冒頭に、ネコのために取り乱して大騒ぎを起こすオバさんの役で登場している。


 このギャミーさん、3月にハーレムの書店で開かれたサイン会でも、映画での役柄に近い陽気なキャラクターで一般参加者とのQ&Aを行った。ところが、朗らかな彼女がしんみり真顔になって言ったのが、このセリフ。
 「私がこの小説を書けたのは、女優としての下積みが長かったからね」


 思うに、長年、売れない女優としてがんばってきた間に、人生に成功した人、失敗した人、翻弄された人、再起をした人、ギブアップした人など、いろいろな人間を見てきたのだろう。それがこの小説に登場するたくさんのユニークな、そしてリアルなキャラクターたちの元ネタになっているに違いない。


 正直なところ、この作品、ミステリーとしてはプロットが甘過ぎる。けれどハーレムの空気(環境は厳しく、何もかもがOKなわけではないけれど、それでも心根の良い人間たちが、それなりに良いコミュニティを作って暮らしている)を感じるには最適だろう。






What's New?に戻る
ハーレムに戻る
黒人文学トップページに戻る

ホーム