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平和を望むニューヨーク
戦争へと突っ走るアメリカ合衆国



 世界中を震撼させた、あのWTCテロ事件から1週間が経った。この間、ニューヨーク、特に現場付近の機能はほとんどマヒしていたけれど17日の月曜日、ニューヨーク再生の最初のステップとして証券取引所が再開され、事件の影響でいまだに混乱している交通網をものともせず、多くの人々が事件前と同じように出勤した。


 事件発生直後は、あまりの衝撃にアメリカ合衆国中がただただ呆然としている状態だったけれど、最大の被害を受けたニューヨークは直ちに救援・復旧作業に入った。多数の負傷者を病院に送り、それこそ山のように折り重なった鉄骨やコンクリート片を慎重に運び出しながら生存者を探した。ちょうどこのあたりからニューヨークの人々の心情と、アメリカ政府の態度・メディアのドラマチックな報道・アメリカ全体の世論とが、ちぐはぐになっていった。


 多くのネットワーク局が24時間CMも無しで事件の報道を続けた際、画面には常に「America Under Attack(攻撃下にあるアメリカ)」のような過激なタイトルが映し出されていた。時を経るに従い、中央の政治家などによる「報復」「戦争」と言った発言も増えた。ところがニューヨークのローカル局はひたすら救援作業の様子を流し続け、合間にはニューヨーク市長、ニューヨーク州知事などによる、作業の進捗状況や見通しを語る記者会見を頻繁に中継した。けれどそこでは政治的な発言は皆無で、市政のリーダーたちは自身も疲労困憊のなか、とにかく市民を励まし続けた。


 実際、ニューヨークの人々の様子はというと、最初は呆然自失状態。例えば事件の二日後、地下鉄の中で事件の続報を伝える新聞を読む私に話しかけてきた若い男性がいた。
 「僕はワールド・トレード・センターに勤めていたんだけれど、あの日はたまたま休みを取った。それで朝、のんびりとウォール街のドーナツ屋に行ったんだ。で、ふと空を見上げたら、2機目の飛行機がビルに激突する瞬間を見てしまった」。
 「同僚が4人亡くなった。気持ちを落ち着けたくて、それで今日は朝からずっと地下鉄に乗ってるんだ」。


 けれど、その後のニューヨークには被害者を悼み、生存者は悲しみを乗り越えて街を再生しよう、それと同時に何があっても戦争は避けようというという動きが起き始めた。たくさんの追悼イベントが催され、会場となった公園には平和や戦争回避を訴える無数のメッセージが書き込まれた。また店のウィンドウ、道を走る車、人々の着ているTシャツ…今や街中のいたるところに星条旗がひるがえっている。最初はそれを愛国心を超えたナショナリズムの現れであり、戦争肯定の意志表示でもあると思い、外国人である私は密かな恐怖を覚えた。けれど多くのニューヨーカーにとってアメリカ国旗は今や連帯・再生のシンボルであり、彼らに新たな戦争の意志はない。テレビのWTC現場中継で、夜を徹してガレキをかき分けているショベルカーに括り付けられたアメリカ国旗を見た瞬間に、人々の気持ちが痛いほどに伝わってきた。


 ところが新聞の投書欄で「モラルは問題ではない。これは戦争だ」と訴えているのはテネシー州の読者。「アメリカを守るためにやった」と犯人が言う悪質なマイノリティ殺害事件が起きたのはアリゾナ州。さらに17日月曜日の朝、ブッシュ大統領が新たな声明を発した。今回のテロの首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンを是が非でも捉えたいという意味で、一国の大統領が、こう発言したのだ。「私は正義を求める。これは昔の西部にあった『犯人を生死に関わらず求む』と書かれたポスターなのだ。」


 アメリカ合衆国は、ニューヨークの気持ちを置き去りにしたまま、戦争に突入しようとしている。


以下、参考までに、文中で引用したブッシュ大統領のステートメント原文を記しておきます。
I want justice. And there's an old poster out west, that I recall, that said, "Wanted, Dead or Alive."


週刊金曜日2001年9/21号より転載




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