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反戦を声に出さない反戦派
マイノリティ・ニューヨーカー

 9.11テロ事件から1年6ヶ月。アメリカは国際世論の反対を押し切り、とうとうイラクへの攻撃を始めてしまった。


 思えばこの間、ニューヨークは常にすっきりとしない雰囲気に覆われていた。テロ事件直後のショックと混乱、観光客の激減、景気の低迷、企業や官公庁の大量解雇。


 しかしニューヨークはエスニックのサンプル帳のような都市。右記の現象は直接的であれ間接的であれ、ほぼ全てのニューヨーカーに降りかかったものだけれど、個々のエスニック・グループにはそれぞれ特有の事情や心象風景が生まれた。


 開戦してしまった今、もっとも不安な日々を送っているのは、もちろんアラブ系とイスラム教徒。3月22日に20万人が参加した大規模な反戦デモがあったが、アラブ系の参加者はほとんど見かけなかった。しかしブロードウェイ30丁目あたりの店にはたくさんのアラブ系男性が働いており、彼らは店から出て舗道に立ち、緊張した面持ちでデモ隊の行進をじっと見つめていた。


 9.11以後、アラブ系は星条旗を守護札として掲げた。けれど開戦後、星条旗は戦争サポート派のシンボルとなってしまい、アラブ系はもうそれを振ることはなくなった。


 ニューヨークのローカル・ニュース局NY1が3月半ばに行った世論調査によると、ニューヨークでは白人の4割が反戦派、対して黒人は実に7割以上が反戦派と出ている。黒人は今回の戦争をブッシュの強欲が原因だと考え、イラクの一般市民に同情をしている。しかし黒人もまた、反戦デモには参加しない。


 黒人の軍隊加入率は白人に比べてかなり高い。黒人にはまだまだ就職差別がある中、軍隊なら基準を満たしていれば誰でも入れるし、出世のチャンスも民間企業より大きい。また数年勤めれば大学奨学金が出ることも黒人とっては魅力なのだ。たとえ自分は戦争に反対でも、家族・親戚・友人がすでにイラクの戦火のなかに居ては、大きな声で反戦を唱えることは、とてもできない。


 だからハーレムでインタビューしてみると、ティーンエイジャーでさえ「戦争には反対」だけれど「軍には叔父と友人がいる」などと淡々と答える。軍にいる知人の安否を気遣うコメントは、彼らの口からは出てこない。彼らにとって軍に知り合いが居ることはごく当たり前であり、その理由が、黒人でありながらこの社会で堅実な将来を手に入れるためのリスクを伴う選択であることも、充分に承知しているからだ。


 9.11後も開戦後も、ハーレムで星条旗を見ることは少ない。先日、若い母親が赤ちゃんを星条旗柄のキルトでくるんでいるのを見た時には少々驚いたほど。彼女はおそらく、ごく親しい身内ー夫か恋人ーが派兵されているのだろう。


 黒人と共にアメリカの二大マイノリティ・グループであるラティーノも、黒人と似た環境に置かれている。ただしアメリカ生まれのアフリカン・アメリカンとは違い、ラティーノは移民として他の国からやってきたグループだ。だから彼らはアメリカという国に同化しようと努力する。反戦派の数は約5割で黒人と白人の中間だし、軍隊でも管理部門に籍を置きたがる黒人と違い、戦闘部門についている者が多い。彼らは出身国の旗と星条旗の両方を飾るのだ。


 9.11後にはWTC爆発炎上の生写真を売っていたチャイナタウンのみやげ物屋も、今は本来の品揃えに戻っている。ここでは星条旗グッズは9.11以前も以後も基本在庫で、相変わらずTシャツからキーホルダーまで何でも置いている。けれど中国系自身はめったに星条旗を掲げない。

 新聞スタンドに置かれている中国語新聞の一面は戦争の記事で占められてはいるものの、マンハッタン中で見かける反戦デモのステッカーを、ここでは見つけることができない。


 他の多くの少数派移民グル−プもそうだが、彼らは自分たちの暮らしをここニューヨークで確立することに忙しいのだ。反戦運動に参加するのは暮らしが落ち着き、自分がこの社会の一員だと自覚してからのこと。なにより不法移民であれば、デモに参加して逮捕されようものなら、たちまち本国へ強制送還となってしまう。


 <ニューヨーカーの有事に対する反応>を説明するのは、9.11当時と同じく、とても難しい。

ミュージック・マガジン2003年05月号より転載




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