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グラフィティはアートか、犯罪か
マイノリティ・コミュニティーの声


 ニューヨークの一部で今、「グラフィティはアートか、はたまた公共物の破損行為か」という議論が持ち上がっている。



 マンハッタンのハーレムはご存知のとおり黒人地区だが、その東部イーストハーレムは、プエルトリコ系住人、つまりラティーノの街であることから、別名をスパニッシュハーレムと言う。通りにはスペイン語があふれ、ラテン・レコード店やスパニッシュ・フード店などがにぎやかに並んでいる。建物の壁もまた、ユニークな壁画でカラフルに彩られている。



 中でも特に目を引くのが、ここスパニッシュハーレムで生まれ育ったアーティスト、ジェームズ・デラヴェガによる絵だ。



 ラテン・ミュージシャンの似顔絵、ピカソの大作「ゲルニカ」のリメイクなど、スパニッシュハーレム中、彼の絵はいたるところにある。デラヴェガはここでは“街の名士”であり、どこの壁にでもじっくりと時間をかけて描くことができる。



 ところがデラヴェガは昨年7月に、サウスブロンクスの倉庫の壁に「自由を求めて金魚鉢から飛び出すサカナ」を描いているところを逮捕されてしまった。



 今年4月16日にデラヴェガは審問のために裁判所に出廷。判事は「グラフィティは公共物破損行為であり、有罪だと認めるならば執行猶予」という選択肢を与えたが、デラヴェガは「グラフィティはアート」という主張を変えなかった。そのため6月9日に裁判となることとなった。有罪となった場合は禁固刑もあり得ると言う。



 裁判の約2週間前にスパニッシュハーレムにあるデラヴェガのスタジオを訪れたところ、運良く本人と話すことができた。現在32歳のデラヴェガは大学卒業後に中学教師を4年勤めたが、「教えることにあまりにもエネルギーを取られて描けなくなった」として退職、以後は“パブリックアート(壁画)”を描きながら、小さなボードに描いた作品やオリジナルTシャツをスタジオで売っている。



 デラヴェガは貧しいラティーノ移民の街の壁に絵やメッセージを描くことにより、「道ゆく人を考え込ませたり、微笑ませたりしたい」のだと言う。彼がもっともよく使うフレーズは「君の夢になろう」だ。気恥ずかしいほどのストレートさだが、貧困や差別によってがんじがらめになっている人々に向けた、彼の心からのメッセージなのだ。



 とは言え、建物の所有者にとってグラフィティは破損行為ではないかと聞くと、「そういう考え方をするなら、僕は有罪になるね」「しかし法律は金持ちを守り、貧乏人のことは知らん顔だ」。



 デラヴェガの最新作は、彼のスタジオのすぐ側の壁にある。ブロンクスの地方検事(黒人)と、区長(ラティーノ)が吊るし首になっている絵だ。いつものポジティブでユーモラスな作品とはまったく違い、グロテスク。地方検事はデラヴェガを訴追している本人、区長はそれに対して何の擁護もしていないことから、本来はマイノリティー・コミュニティを守るべきマイノリティー政治家たちが、コミュニティーに貢献している自分を裏切ったと考え、怒っているのだ。もっとも広いブロンクスには白人もたくさん暮しており、地方検事も区長もマイノリティーのためだけに職務についているわけではないのだが。



 デラヴェガの絵がいつになく攻撃的になっているもうひとつの理由は、禁固刑への恐怖かもしれない。ニューヨークの粗っぽい刑務所で、繊細なアート青年がどれほど持ちこたえることができるだろうか。このことは本人にとってもかなりのプレッシャーになっているはずだ。



 それにしても、街の美化のためにすべてのグラフィティーを消し去るべきだという、政治家たちの硬直した態度がこのグロテスクな絵をコミュニティーにもたらしたのだとすると、なんという皮肉だろう。



 1980年代に地下鉄を満艦飾にしたグラフィティーはすべて消され、現市長もアンチ・グラフィティー・キャンペーンを続けている。しかしグラフィティーにも二種類あることを市長は認識しているのだろうか。描き手が自分の名前を殴り書きするだけの醜いタギングは消去されるべきだが、パブリックアートとして人々を楽しませることができる作品やアーティストには何らかの法的保護があってもいいのかもしれない。



ジェームズ・デラヴェガ 写真(本人&作品)

ミュージック・マガジン2004年7月号掲載




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