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ジャズ
ブラックミュージック!!

ジャズとはアドリブ(即興)であり、体内に生まれながらのリズムを持つ者だけがプレイできる変幻自在の音楽だ。


 1914年、第一次世界対戦が勃発。黒人部隊も編成されてヨーロッパへと派兵されたが、白人部隊と同じ場所で戦うことは許されなかった。戦争という極限状態にあってもなお差別を受けた黒人兵の中には、「とにかく国の為に尽くしているんだ。これで自分もアメリカの一員だ」と誇りを感じた者、「アメリカが自分にしてくれたことは差別だけ。なのに何故、そんな国の為に戦わなくてはならない?」と憤りを感じた者の二者がいたという。そんな黒人部隊を歓迎したのはフランスだった。黒人部隊の軍楽隊は好意的なフランス人に囲まれて演奏し、また生のヨーロッパの音楽を聴いて吸収し、それをアメリカへと持ち帰った。


 その頃、かつてフランス領だったニューオリンズでは、葬儀の際に街から墓地まで死者を収めた棺と共に、陽気な音楽を演奏するブラスバンドが行進していた。港街だったニューオリンズでは既にさまざまな国の音楽が混じり合っており、バンドはユニークなシンコペーションのリズムを演奏し、行進自体は“セカンドライン”と呼ばれた。これに戦争帰りの黒人兵たちが持ち帰ったヨーロッパ音楽の要素が加わり、ピアノを中心とする、これも陽気な“ラグタイム”が出来上がった。このラグライムにブルースの要素が加えられた新しい音楽は“セックスをする”という意味を持つ黒人スラング“Jass”と呼ばれるようになり、それが“Jazz”へと綴りを変えた。これがジャズ誕生の成りゆき。この初期のニューオリンズ・ジャズ・シーンを代表するのは、ピアニストのジェリー・ロール・モートンや、世界に名立たるトランペッター、サッチモことルイ・アームストロング。ダミ声で歌われる「素晴らしき世界」は誰もが知る名曲。


 以後、ジャズは多くの優れたミュージシャンたちによって進化と変化を続け、全米はもとよりヨーロッパにも浸透していくこととなった。まず30〜40年代はビッグバンド・ジャズの全盛期。デューク・エリントン、カウント・ベイシーなどが名を馳せ、若者たちは着飾ってボールルーム(ダンス場)に夜毎集まり、スウィング・ダンスに熱狂した。この時代、ビッグバンドは専属の女性シンガーを擁していることも多かったが、後にソロとなって大活躍したのが、エラ・フィッツジェラルドとサラ・ヴォーン。


 50〜60年代はジャズの帝王マイルス・デイビスの登場に伴ない、モダン・ジャズの黄金期となった。ビバップ、クール、モードとあらゆる形態のジャズがニューヨークのジャズ・クラブで毎晩のように生み出され、まさにジャズが火を噴くように熱かった時代。ところがこの時期のジャズ・ミュージシャンたちは、特有の辛いイフスタイルを持っていた。有り余る才能のお蔭でジャズ・クラブでは天才と褒めたたえられ、亡我の境地でプレイする。しかし時代が時代故に、演奏をしていない時は“ただの黒人”扱い。日常生活での差別は当たり前だし、ツアーに出ても黒人を泊めてくれるホテルすら見つけられないという有り様。そんな落差の大きな生活からの逃避行動か、はたまた単にアーティスト特有の気まぐれか、多くのミュージシャンが酒や麻薬に溺れ、また女性との関係にも足を取られた。チャーリー・パーカー、バド・パウエル、ジョン・コルトレーン、ビリー・ホリデイなどのジャズ・ジャイアンツは苦難の人生を送り、非業の死を遂げた者も多い。


 この時期にはジャズ専門のレコード会社も多数生まれ、中でもブルーノートは有名。熱心なジャズ・マニアであったオランダ人、アルフレッド・ライオンが興したブルーノートは、50〜60年代のモダン・ジャズの歴史そのもの。時代をリードする新しいサウンドを、一目でブルーノートだと判る優れたデザインのジャケットに収めてリリースし、一時代を築いた。


 60年代後半に入るとジャズにも電子楽器が使われ始め、天才マイルス・デイビスはファンキーな「ビッチェズ・ブリュー」でジャズ界をあっと言わせた。この新しい流れは“フュージョン”と呼ばれ、ハービー・ハンコックなども同様の作品を発表。ところがフュージョンはどんどんと耳当りのよいサウンドへと化していき、70年代後半から80年代前半にかけてのグローバー・ワシントンJr.(sax)、ジョージ・ベンソン(g)などはポップス・ファンにも好まれた。その反動で本流のジャズは廃れかかったが、81年に弱冠19歳でありながら正当派ジャズをプレイするウィントン・マルサリス(tp)が彗星のように登場。現在ではニューヨークのリンカーン・ジャズ・センターの音楽監督まで努め、テレンス・ブランチャード(tp)、ロイ・ハーグローブ(tp)、ニコラス・ペイトン(tp)などの若手も精力的に活動している。ボーカルでは、ジャズにブルースやロック、ラテンも巧みの取り入れ、なおかつ深くジャジーに聴かせるカサンドラ・ウィルソンが気を吐いている。またアンダーグラウンド・シーンではヒップホップ世代による新しいジャズも胎動し始めている。さて、ジャズの未来はいかに。





● マイルス・デイビス ●

 ジャズの帝王マイルス・デイビスは、1926年イリノイ州イースト・セントルイスの歯科医の息子として誕生。恵まれた環境にあったマイルスは、12歳でトランペットのレッスンを始め、18歳でニューヨークにある有名なジュリアード音楽学院に進学。ところが入学早々から、これもジャズの天才と呼ばれたチャーリー・パーカーとプレイを始め、あっさり退学。以後、ビバップ、クール、ハード・バップ、ジャズ・ファンク、フュージョンと次々にジャズの新境地を開拓していく。


 また天才特有の直感的な行動、エゴの強さ、旺盛な好奇心により、私生活においてもユニークさを発揮した。つねに最新のファッションに身を包んで高価な車を乗り回し、酒とドラッグに溺れつつも映画出演もこなし、また絵描きとして絵筆もふるった。さらに女優シシリー・タイソンとの結婚や、恋人をアルバム・ジャケットのモデルに使うなど、派手な女性遍歴も知られた話。


 1991年に他界するするまで、実に50年近くに渡ってジャズ界に君臨し、ジャズの歴史を作り上げたマイルス。この天才を凌ぐジャズ・ミュージシャンが登場することは、まず有り得ないだろう。




1: ヒップホップ/モス・デフ
2: R&B ソウル/オーティス・レディング
3: モータウン/ダイアナ・ロス
4: ジャズ/マイルス・デイヴィス
5: ブルース/スリーピー・ジョン・エスティス
6: ゴスペル/カーク・フランクリン
7: 年表で見るブラックミュージックの歴史

U.S. Front Line No.168(2002/08/20号)掲載記事
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