Q:生い立ちを教えてください 1973年生まれの31歳。ニューヨークのハーレムで生まれ育ち、今はサウスブロンクスで暮らしている。 南部出身の両親は信仰心が篤く、躾には厳しかった。貧しかったが、小さな頃は幸せな家庭だったよ。ただ、両親共稼ぎでも収入は十分ではなく、欲しいものがあれば自分で稼ぐしかなかった。一歩家の外に出ると、そこはドラッグだらけのハーレムのストリートだからね、いろいろやったよ。何をやったっかって? ドラッグを売ったり、強盗したり、ごく普通のことだよ。 11歳の時にストリートでモノを売り始めた。トイレットペーパーや新聞なんかだ。ハスラー(違法行為で金を稼ぐ者)がいてね、そいつらが商品(盗品)を流してくれるんだ。すぐにドラッグも売り始めた。共稼ぎで家にあまりいない親の目をかすめるのは簡単だった。おれは抜け目ない子どもだったからね。 |
D.Moe |
毎朝、一文無しで目覚めることにうんざりだ Q:犯罪の次のステップは何だったのですか? 一度、間違った選択をすれば、それまでだ。「次のステップ」はない。子どもであっても警官に追いかけられ、逮捕され、回りからは違う目で見られるようになる。これはフェアじゃない。自分で選択した道であることは確かだ。しかし貧しい環境で育てば、2〜3時間で100ドルも稼げる方法が目の前にあれば、後先も考えずに足を踏み入れてしまうさ。 ■ 銃、ドラッグ、強盗 Q:最初に逮捕されたのはいつですか? 15歳の時だ。高校に銃を持ち込んだのを見つかったんだ。あの時期、ギャングが急に勢いを伸ばし始めていた。学校でもギャングメンバーとなった生徒が、他の生徒のコートやスニーカーを脅し取ったりしていた。 あの頃のおれは無知だった。ハスリング(違法行為)で金を稼げば女の子も、服も、車も手に入る。その代わり、回りにはそれを盗もうとする奴や人殺し、それに警官もいる。自己防衛のために銃が必要だったんだよ。当時は60ドルで買えたよ。現在の値段? 銃の種類によるけど、スミス&ウェッソンのリボルバーなら350ドルだな。州外の正規の銃砲店で買われた銃が、ニューヨークの闇マーケットに出回るんだ。 Q:少年院に入ったんですね? 銃の件では少年院に入らずに済んだが、3年後、18歳でドラッグの密売で捕まった時には刑務所(*)に6ヶ月入ったよ。11歳でハスリングを始めて以来、周囲の人間が次々とムショ送りになっていくのを見てきたから、遠からず自分の順番が来ることは覚悟していた。あの頃、両親はすでに離婚していたし、逮捕の2ヶ月前に撃たれて肉体的にも弱っていたが、(精神的には)もう大人だった。 出所後、5年の執行猶予期間があったし、ムショ帰りじゃまともな職には就けなかった。結局、3年後、21歳の時に強盗でまた逮捕された。今度は6年の刑を受けた。実際には3年半で出所したが、その間にムショの外ではたくさんの友だちが死んだ上に、父がガンで逝ってしまった。厳しい父親だったが、おれにとってはヒーローだった。その父の死に目に会えなかったことが、おそらく、その後のおれを変えたんだと思う。 *18歳から成人として裁かれ、少年院ではなく刑務所に入れられる ■ 刑務所 ■ 犯罪歴〜限られる雇用 D.Moe が勤めるコミュニティーセンターの所長T氏に、D.Moe を雇用した経緯を聞いた。D.Moe は3年前に学童保育担当のパートタイム職員として求職した。教育機関では雇用時に指紋による犯罪歴のチェックをする。所長は本来ならD.Moe のように重罪を犯した人物は雇用せず、彼は例外だと言う。 「彼 は仕事に対して、とても真面目な態度を示したし、何より、こういったコミュニティー(低所得、高犯罪発生率の黒人地区の意)の出身だ。私たちが預かってる子どもたちが日々接している問題を実際に体験してきたわけで、子どもたちを理解することができる」 所長がニューヨーク市の管轄部門に問い合わせをしたところ、児童相手の犯罪を犯した者でなく、なおかつ出所後にある程度の年数を経ていれば、市の担当官による面接を経た上で雇用できるとの回答を得、D.Moe を採用した。以来、D.Moe はコミュニティーセンターで子どもたちと同僚職員の両方から大きな信頼を寄せられている。 所長は1年前にD.Moe を、公立小学校の教室での学童保育プログラムの責任者に昇進させた。ところが市教育委員会から「犯罪歴のある者は公立学校敷地内で働くことはできない」という通達が出、現在はコミュニティーセンターに戻っている。 |