なぜ、ゴミみたいな音楽が売れるんだ すべてのブラザーは刑務所の中 なぜ、ブッシュはオサマを捕まえようとしているフリをするんだ なぜ、疑問があり、答えは何なんだ 教えてくれ、なぜ、オレを動機付かせるのは金で、けれど愛はオレを落ち着かせておいてくれるのか ■エピローグ ヒップホップ雑誌「ヴァイブ」主催による「第2回ヴァイブ・アワード」がカリフォルニア州サンタモニカで11月15日に行われ、その模様は翌16日に全米でオンエアされた。この番組が生中継されなかったのは、多くの人気ラッパーが一同に集うこの場で、何かしらの暴力事件が起ることを主催者側が危惧したからだと思われる。やはりヒップホップ雑誌主催の「ソース・アワード」では毎年のように事件が起っているのだ。 果たして当日、事件は起った。ヒップホップ界に大きな影響力を持つプロデューサー兼ラッパーであり、俳優としても活躍しているドクター・ドレが、ファンを装った男に殴られたのだ。会場は瞬時にして混乱状態に陥った。その喧騒の中、ドクター・ドレ傘下のラップ・グループGユニットのメンバーのひとり、ヤング・バックがドクター・ドレを殴った男を刺し、そのまま逃亡した。 Gユニットは50セントが中心となっているグループで、Gはgangstaを指す。オリジナルメンバーのひとりが刑務所に入ったため、代わりに加入したのがヤング・バックだった。 「ヴァイブ・アワード」は事件の部分をカットしてオンエアされたが、事件の様子はニュース番組でひんぱんに流された。 ■ストリート・メンタリティー 番組オンエアの翌日に、ハーレムにあるNYPD(ニューヨーク市警)32分署を取材することができた。勤続15年のジョンソン警官は「ギャングスタラッパーの多くはフェイクだ。音楽を売るためにギャングスタのイメージを使っているだけなんだ」と言った。しかし、実際に「ヴァイブ・アワード」であのような事件が起こった。ゲットー出身とは言え、今では富と名声を得たラッパーが何故、テレビカメラの前で人を刺さなければならなかったのだろう? 「それはストリート・メンタリティーだ」とジョンソン警官は言った。 「ストリート・メンタリティー」 この言葉には多くの意味が含まれる。ストリート、つまりゲットーで起る暴力事件を「ゲットーの事」として誇ることもそのひとつだ。誇れるものを何を持たない者たちも、人間としてのプライドを保つためには手持ちの何かを誇り、他者に見せつけなくてはならない。それは肉体的なマッチョさであったり、違法行為で得た金で買った高価な服であったり、または「ムショ帰り」というハクであったりする。 ストリートをサバイバルするための「ナメられてはいけない」というルールもまたストリート・メンタリティーから来ている。ヤング・バックにとって、自分が師と仰ぐドクター・ドレが人前で殴られたということは、自分もまた公衆の面前で恥をかかされたということだ。いったん「ディスリスペクト(尊敬しない、軽蔑する)」されると、ストリートでは生きていけなくなるという。 ■ラップの代わりにコンピュータを ニューヨーク市の家族独立課の教育コーディネイターであるマーガレット・ペンバートンは眉をしかめながら、「見てみなさい、ギャングスタラッパーたちの格好を」と言った。「高価なジュエリーを身に付けてはいても、彼らの心の中は焼き尽くされているのよ」 ゲットーの子どもたちが育つ環境を熟知しているペンバートンに、「プロジェクトで福祉に頼りながらシングルマザーに育てられることは、子どもにどんな影響を及ぼすのか」と訊いてみた。「プロジェクト、福祉、シングルマザーと言っても、人それぞれに状況はまったく違うのよ」「私自身もシングルマザーとして男の子を育てたわ」ときっぱりと言い切った。 では、シングルマザーとなった理由はペンバートン自身の決断だったのだろうか? 「そうね、シングルマザーも、福祉に頼らなければならない人たちも、社会的が作ったとも言えるわね」 その「社会」については本稿に詳しく書いたが、ギャングスタ・ラッパーたちの存在も「社会」が理由のひとつだ。 ジョンソン警官は提案した。「子どもたちの将来のためにはトレーニング・センターが必要だ」「バスケをさせるのもいいが、それだけではダメだ。多くの子どもがバスケの選手かラッパーになりたがる。しかし、実際に必要なのはコンピューターや職業訓練なんだ」 ■ヒップホップ世代の変化(の予兆) ペンバートンは言った。「ひとりの大人が、ひとりの子どもの面倒をちゃんと見るの。それだけでいいの。そうすれば、それがコミュニティーを良くするのよ」 この言葉から思い出されたのが、冒頭のインタビューに登場したD. Moeとスリム少年だ。貧困のために子どもを十分に監視することができなかったD. Moe の両親。そのためにストリート・メンタリティーを身に付けて刑務所に入ったD. Moe 。幸いなことにD. Moe は自分とコミュニティーの何かが間違っていることに気付き、今はスリムを育て、コミュニティーを良くするための努力をしている。 しかし、ジョンソン警官やペンバートンと違い、D. Moe もスリムもヒップホップ世代だ。彼らはストリートのヒップホップ文化のまっただ中、ギャングに転落することが、あまりにもたやすい環境に暮らしている。本特集冒頭に挙げた50セントの曲「ガン・ランナーズ」のように、幼なじみに電話1本かければ、ドラッグも銃もいとも簡単に手に入る。つまり、人生が常に綱渡り状態なのだ。 ハーレムで「健全なヒップホップ・イベント」の運営をしている、ある女性は残念そうに言った。「ヒップホップの10年後? 今のヒップホップにはあまりにもネガティブな要素が多いから、私にも予測できないわ」 しかし、スリムが「ネガティブなことしかラップしない」と言ったジャダキスは、ニューアルバム「Kiss of Death」に『Why』という曲を書いた。この曲はたくさんの疑問の羅列で成り立っている。 10代から20代をギャングスタとして生き、今、30代に差し掛かっているラッパーたち。ある者はキャリアの頂点まで登り詰め、ある者は家庭を持って子どもを育て、ある者は自分を追い越そうとしている若手のラッパーを見て、それぞれが何かしらの変化を感じているのではないだろうか。それゆえに今、ヒップホップはようやく社会と自分自身に対して「なぜだ?」と問い掛けることを始めたのだ。疑問を持ち始めたばかりの彼らは、まだ答えを見い出せていない。ジャダキスの曲の中にも答えは一切見当たらない。ヒップホップは、これから答えを見つけていくのだろう。 |